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モダニズムの湾岸都市の終末感

『タイムスリップ・コンビナート』笙野頼子

電話の主は「マグロ」か「スーパージェッター」か? 時間も空間もとめどなく歪み崩れていく「海芝浦」への旅はこうして始まった──

『タイムスリップ・コンビナート』

東芝工場につながる海芝浦を中心に東京の果て(神奈川だけど)の鶴見線の途中下車の旅といような紀行文。ただし「海芝浦」は東芝工場のためのだけの駅なので関係者でないと駅の外に出られない。駅は東京湾に面していて、コンビナートや翼橋が見られる近未来SF空間なのだ(『ブレードランナー』に喩えられる)。

去年の今頃「鶴見駅の挑戦状」という鉄道オタが喜びそうな企画があったのだが、それがまったく『タイムスリップ・コンビナート』の行く場所と重なっていたので企画した人は『タイムスリップ・コンビナート』を読んでいたと思う。クロスワード問題で実際に小説の出てくる場所が解答だったりしたのだ。

笙野頼子の描写はけっこう的確で今も変らないというか、開発が届かない地区(工場地帯)にあるのだった。東芝の全盛時代はすでに終わってしまった日本経済の終末感と、かつての高度成長期時代を幼少期ですごした四日市と重ねながら(四日市もかつての京阪神の工場地帯で繁栄と公害を象徴したコンビナートがある。鶴見は一応、横浜だけど川崎寄りでやはり公害問題があったのだ)。マグロから呼び出されるというのは、そんな海水汚染を問うような、ゴーゴリ『鼻』のような滑稽譚を連想させた。

それと鶴見地区を含む湾岸都市は稲垣足穂の近未来小説(モダニズム)の舞台にもなっていた。笙野頼子はその傾向を引き継ぎながらかつて夢見られていた時代とどうしようない作家とのメタフィクションになっているのだ。四日市のコンビナートで思い出すのは公害としての姿ではなくかつてチョコレートと結びついた祖母の姿なのだ。そこに甘く切ないほろ苦い物語性がある。芥川賞で評価されたのは、喪失した時代の変貌を鶴見線を通して観る鉄道小説になっているのである。そう言えば最近読んだ柳美里の鉄道小説もそうしたジャンルになるかもしれない。

『下落合の向こう』

これも鉄道小説の一種で、西武新宿線の沿線にありながら都心の様子とは違う都市の掃き溜め的な町を描写していく(あくまでも作者にとってだ)。それはひとつは言葉から連想されるもので、落合が落ち武者のような落ちていくイメージ。さらに上落合や中落合に比べてさらに下落合というどこまでも下降していくイメージを重ねてしまうのである。それは自身は明るい東京生活に対してのイメージからどこまでも下降していく生活というような小説なのである。

『シビレル夢ノ水』

さらにおぞましい生活はカフカ『変身』のような虫(蚤)に支配されていく世界になる。笙野頼子は実生活でも猫好きなのだが、その始まりとなった野良猫の面倒を見てしまうという自身の性癖とも言える悪循環から迷い猫が飼い主の元に戻った後に蚤だけを残して、猫の喪失感と蚤の繁殖力が比例していくように増大していくのだ。さらにその幻影は蚤の姿までも強大化し、蚤の夫婦がこれみよがしに性生活をも見せつけるという悪夢に取り憑かれてしまう小説。どんどんグロテスクになっていくホラー感かな。

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