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ペテルブルグ文学の重要性

前日までお粥だったのが朝からカレーになりまして、夕食は唐揚げ弁当にしたので食生活はほとんど元に戻りました。まず食べることが人間の基本ですから。

喉の痛みはなく、ただ痰や咳を排出することで楽になっているのだと思います。それまではなかなか排出できずに喉にウィルスが溜まってしまってのが喉の炎症の痛みだと理解しています。コロナ感染の症状はなく風邪のようです。

昨日別の薬局で検査キットが売っているのを見かけました。もう元気になっているので買う必要もないなと素通りしましたけど、年取ってくると一つのことですべてだと思いこんでしまう感情があるようです。思い込みですね。自分しか見えて来ない。クレーム爺さんはほとんどこのパターンでしょうね。もっと全体を見ないといけないですね。注意する必要があります。

図書館に行って返却本三冊。『寺山修司の俳句入門』『坪内稔典の俳句の授業』『プルーストの部屋〈下〉―『失われた時を求めて』を読む』。新しく本を借りようと思ったら図書カードを忘れてきてしまいました。まあ、積読本も溜まっているので無理に借りなくてもいいのですが。

お金の調整をして、今月も生活が出来ると確認。これは大切ですね。収入がないので、退職金の貯金だけで生きてますから。

読書。井筒俊彦『ロシア的人間-新版』。これはなかなかいい本です。ロシアが革命だけの国だと思ったら、その前にイスラムから隷属されていた。それを解放したのがイワン雷帝で、正教と結びついて絶対王政になっていく。しかしそれでも貧困者は相変わらず隷属状態に耐えなければならなかった。それがモスクワ・ロシア主義という権力者=神というような思考が芽生えた。ツァーリ権力構造は、革命政府になってもスターリンを崇拝するという構造があるのです。

それを改革しようとしたのがロマノフ王朝のピョートル1世(大帝)。彼はナポレオンとロベスピエールを併せ持った改革者だということですごい無理なことをした。もっとも大きなものは、モスクワからペテルブルグへ首都を移した。ペテルブルグ文学なるロシア文学があるのは、ピョートルのせいなのですね。多くは悲観的に描かれていますが。ロシア文学に最初に現れた詩人プシーキンは、ピョートル1世を英雄として描いている。楽観的な夢見がちな誇大妄想の思想ですから詩とも相性が良かったのかも。

プシーキンは決闘で無くなるのですが、無くなったときはすでにプシーキンの地位も落ちていた。腐りきった貴族階級の男に決闘を申し付け正義のために死んでいく。それを詩でもって描いたのが、『現代の英雄』を書いたミハイル・レールモントフ。しかし、彼の文学はプシーキンのように明るくはなく自身も余計者の生涯を送り若くして夭折する。

ロシアの詩から散文の文学に変わっていく。そこで出てきたのゴーゴリなのです。ゴーゴリはプシーキンの弟子のような存在から郷土的なロシアを描いて成功していくのです。最初のロシア文学の傑作『さまよえる魂』ですね。

ペテルブルグの遷都の無謀さ、そこにペテルブルグ特有の幻想的だけど鬱々とした文学の暗渠があったのです。

映画は、そんなロシアに関連させて、『サンストローク ロマノフ王朝の滅亡』。赤軍と白軍の革命戦争を白軍側から描いた悲劇。モスクワ派とペテルブルグ派の対立構造を見てみると面白い映画でした。


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