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私が認知症になっても ーー Still Alice を読む

私は幼いころから記憶力だけはよく、たぶんあれは軽い映像記憶だったと思うのですが、こと文字になって書かれたものに関しては、そのまま覚えることができていました。いつどこで誰が何をした、というエピソード記憶も細かかったし、しょっちゅう大人たちを驚愕させていました。

時代的に、学校のテストは、記憶してるものを吐き出すだけでよかった。何か深いことを考えてたわけじゃない。私の記憶力のよさは私の武器である、という自覚は、ずっとありました。

それが長じて英語を教える仕事に就いたといえなくもないです。英単語をどれだけ覚えるか、が英語のプロの入口みたいなところ、ありますからね。私は記憶力のおかげで雇ってもらっている、ということはよくわかってました。

不思議なことに、子供を産んでから、その能力がすっかり衰えてしまい、いまは並みの記憶力です。メモリが満杯って感じは全然ないんですけど、一度にアップロードできる量は激減し、処理速度も遅くなり、そもそも何を記憶しておくべきかという選別のアンテナがへなへなにしおれている感覚がはっきりとあります。

長い話を短くすれば、生まれてこのかた自慢だった記憶力が、この数年ですっかりだめになってしまった、ということです。

出産後のホルモンバランスのせいなのか、周囲の物事よりも我が子のことだけに注意をむける脳の働きのせいなのか、はたまた甲状腺ホルモンのせいか更年期障害か。

あるいは、認知症か。

若年性認知症ってやつですね。その可能性があるなと思った瞬間、正直いって恐怖しかなかったです。いままで記憶力勝負で生きてきたのに、仕事どうなるんだろう。英語どうなるんだろう。読書体験どうなるんだろう。

私のアイデンティティ、イコール、記憶力、とまでは言い切りませんが、でも私のアイデンティティの大部分は、この記憶力こそが土台になっているわけです。

これまで私はずっと、自分の頭の中に詰まってるものを適宜引き出す形で働いてきたので、そこがだめになったら、もう社会人としてはアウトです。知的労働者が、認知症になったら、そのあと何をして社会に貢献すればよいのか。っていうか、そもそも社会のお世話になる側か。なれるかな。プライドだけは高そうだしな。もう暗澹たる気持ち。絶望しかない。

私のように、脳みそ一本勝負で生きてきた人間が、若年性でもなんでも認知症になったら、もう余生は単なる生ける屍か。それとも何かしら出来ることはあるのか。

その答えは、『アリスのままで』に書かれています。

『アリスのままで』は、ハーヴァードの神経学者リサ・ジェノバ(Lisa Genova)による自費出版の小説で、原題そのまま、『Still Alice』というタイトルで映画化もされています。ジュリアン・ムーアが主演で、アカデミー賞もとりました。

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