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0223「“不在”の存在がわたしを変える。そして今年も春が来る」

母が、お正月明けの底冷えする時期に、最後の入院で、苦しみもがきながらも「生きたい」という希望を持ち続けて頑張っていたとき。


「もうすぐ春が来るよ。今はまだ寒いから、しっかり治療をして、暖かくなる頃に元気になったらいいね」
「そうね。春が来る頃にはきっと元気になれるわよね」

よく母とそんなやり取りを繰り返した。

その頃には、急性期の病院で、何度も担当医に呼び出されながら、もう余命いくばくもないと聞かされていたのだけれど。

母は春が来る前の、2月の第一日目で逝ってしまった。

彼女がいなくなってから、ちょうど今ごろのもうすぐ3月という頃になると、少しずつ春の気配がちらほら感じられるようになった。

わたしはそのことに傷ついた。

あんなに春を待ちわびた母がいないのに、のこのこと訪れる春に憎しみさえ感じた。

「春なんて大嫌い。もう二度と春なんてこないで欲しい」

吐き捨てるようにそんな言葉を口にしたわたしに、母のこともよく知る30年来の親友が、涙を浮かべて言った。

「ゆみのママは、娘が春を嫌いになったのが自分とせいだと思ったらきっと悲しむよ。春が好きだったママの分も春を毎年待とうよ」

こう書くと陳腐な慰めにも思えるが、不思議なほどわたしの心に根付いていた春への憎しみが溶けていくのを感じた。
おそらく他の人に言われたら、「うっさい、ぼけ。しょうもない慰めするな」と思っただろうけど。

言葉には、言葉だけじゃないものが含まれている。彼女が言いたかったのは、母のことでこれ以上あなたは傷つかなくていいよ、ということだったのだろう。同時に、そのことがなによりも母への供養だよとも。

母が逝って2年。いまだに写真も飾れていない。どの写真もわたしのなかの母ではないからだ。

かわりに母が好きだった花を飾り、毎朝、相方かわたしが3人分のミルクティーを入れて花の前に置く。

わたしは花があまり好きではなかった。子どもの頃から。

母にはいつも「女の子なのに、花もきれいだと思えないなんて、可哀想」などと言われて、よけいに花が嫌いになった。

でも母に供える花を選び、飾るときに、ああ、お花ってきれいなんだなと、ときどき喜びを感じることもある。

その人が存在したときに変わらなかったものも、その人の不在という存在でわたしが変わる。

2月はわたしの誕生日月でもある。
母がいなくなってから、なぜか兄が毎年、誕生日に花を贈ってくれるようになった。兄もまた、母の不在により変わったのだろう。

その花を母に供える(トップの画像が今年の兄からのお花)。

母はそこにはいない。天国で喜んでいるだろうなんておセンチなことも思わない。

ただ、母にこう呟く。

あなたの存在はまだこうしてわたしたちに影響を与えていますよ、と。

父はどうなんだろう。長く人生を共にした妻の不在で何かが変わったのだろうか。