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明け方、むき出しの肩

 若かった、そのたった一言で片付けてしまうことができるものなのかどうか、いまひとつ自信がないがそれでもとにかく、当たり前のことかもしれないが、あの頃のオレは、今のオレよりも若かった。何年前になるのだろうか。飽きもせずに明け方まで互いのからだを触り合ったり、キスをしたりして、過ごした夜があった。その頃、美穂とはまだ付き合って二週間くらいで、いまにして思えば、オレの美穂への気持ちが最高に高まっていた時期だったのかもしれない。まだ付き合いたてで、お互い知らないことも多かったし、オレはとにかく美穂のことがもっと知りたかった。もっと近くにいって、美穂の輪郭に触れて、そして自分の輪郭と美穂のそれを、なんとか重ね合わせたかった。もっとも、そういうの思いだって、きっと若かったからそんなふうに思えたのかもしれない。まだセックスはしていなかったし、ふたりでどこかに泊まりに行ったりもしていなかった。オレは実家住まいだったし、美穂は一人暮らしだったが、部屋が散らかっていて恥ずかしいからもうちょっとだけ待って、と言われていて、まだ美穂の部屋に上がったことはなかった。その日、どういうわけか急に真夜中に美穂と会うことになった。初めはそれぞれの家にいて、なんとなく眠れなくて、電話で話していたのだが、そのうちに、オレは我慢できなくなって、車で美穂に会いに行った。本当に真夜中で、店もろくに空いていないし、なんとなく、カラオケに行った。オレは普段カラオケなんて行かないし、美穂とカラオケに行ったのもそれが最初で最後だったが、たぶん、他に行く場所がなかったような気がする。美穂はパジャマの上にジャンパーを着ていた。美穂のパジャマは色あせて襟が伸びたピンク色のトレーナーだった。いまどきは、トレーナーなんて言わないで、スウェット、と呼ぶことが多いが、その色あせ方とか、生地のたるんだ感じとかが、プリントされている柄とかが、親しみを込めてトレーナーと呼ばせようとする、そんな感じの服だった。久しぶりのカラオケはそれなりに楽しくて、あっという間に一時間が経過した。本当は一時間で出るつもりだったが少し延長して、そして閉店の朝五時になると追い出されるようにしてオレたちは店を出て、夜が開けようとしている目黒の駅前に立っていた。その日は美穂もオレも仕事が休みで、オレも美穂もそれぞれ午後から用事があったので、このままそれぞれの家に帰って寝るつもりだった。それでも、なんとなく美穂と離れがたくて、オレはもう少しそのまま一緒にいたかった。街が目覚めようとしていて、電車も既に動き始めていた。始発に乗ろうとして駅に向かう人たちがぱらぱらといて、彼らの流れに逆らうかのように、彼らの流れから逃れるように、オレたちは手を繋いで駅とは逆の方へ歩いた。もちろん、行くあてなんてどこにも無かった。ただただ、人の流れから逃れるようにして歩いて、気がついたら路地裏の小さな公園のようなところにたどり着いていた。美穂に触れたかった。ひと目につかないところを求めていたらその公園にたどり着いたのかもしれない。表通りとは違って、誰もいなかった。その小さな公園のベンチの一人分のスペースにオレが座って、その上に美穂が座った。そのベンチは、横に寝そべる人を防ぐために二名分の座席の真ん中に手すりのような構造物がわざわざついているタイプで、その手すりさえもが、オレと美穂の間にあるのには邪魔すぎたのだった。膝の上に美穂の重みを感じながら、オレは美穂のからだを抱きしめた。美穂の髪からはシャンプーの匂いがして、美穂に言わせると、美穂が使っているのは美容院でわざわざ買っているサロン用の高級なものらしかった。美穂のからだを抱きしめていて気がついたが、美穂はノーブラだった。え、ブラしてないの? 背中を触りながらオレがそう言うと、美穂は少し慌てた。いや、ちょっと油断してて、そうね、出かけると思ってなかったからさ、わたしとしたことがね、いや、まずいな、ちょっとさ、あんま触んないでよね。美穂は照れるようにしてオレからからだを離そうとした。オレは当然のようにそれを無視して美穂の胸に顔を押し付けた。トレーナーの布地越しに、美穂の乳首の形が浮き上がって、オレはその生地ごと口に含んだ。美穂は抵抗しようとはしたが、本気ではなくて、何も言わなかった。美穂のパジャマからは柔軟剤の匂いがした。時間にも場所にも、見放されていた。オレたちが自由でいられた夜はもう終わろうとしていて、新しい朝が始まろうとしている街にとって、オレと美穂はただの異物でしかなかった。もうしばらくすれば通学する子供たちとか、出勤する人たちで街が賑わうことになる。いつまでもこうしていたかったが、そういうわけにも行かなかったし、そんなことはオレだって解りきっていた。伸びて弛んだ美穂のトレーナーの襟首をずりさげて、美穂の乳首をオレは直に口に含んだ。美穂は小さく声をあげたが、ただ黙ってオレに乳首を舐められていた。夜はやさしい、夜は、オレとか美穂とか、そういうひとたちを、しっかり受け止めてくれる、夜は、恋人たちに、やさしい。あたりはすっかり明るくなっていて、もう夜はとっくに終わっていた。オレは美穂の胸から顔を離して、もう一度、しっかりと美穂のからだを抱きしめてから、キスした。キスの途中でこっそり目を開けると、美穂もそれに気がついて目を開けて、唇を重ね合ったまま、ふたりで小さく笑った。逃げる場所も、行く場所も、どこいもなくて、もう家に帰るしかなかった。美穂のむき出しになった肩越しに見える光がまぶしかった。もうどこにも闇は残っていなかった。美穂の鎖骨のあたりをぼんやりとオレは眺めた。街はすっかりもう、あさになっていた。(2018/02/02/07:04)

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