#ネタバレ 映画「レディ・ジョーカー」
「レディ・ジョーカー」
2004年作品
リーダーという名のジョーカー
2005/1/16 17:44 by 未登録ユーザ さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
人が集まって組織をつくり、競争社会で金儲けを企画する。
これをもし「会社」と言うならば、競争社会のシンボル的存在の競馬場で集う、寄せ集めのグループ。これは会社組織の暗喩だと思いました。( 会社=犯罪と言っているわけではありません。)
さて、犯人グループはリーダーである清三の指揮の下に、完全にコントロールされたロボットの様な行動をしていたのかと言えば、そうではありませんでした。ビールに染料を混ぜたり、傷害事件を起こしたり、自動的に動く事も多く有りました。
また、皆が様々な哀しみ(ジョーカー)を抱えた犯人グループでしたが、人が集まれば比較が生まれ、そこに差別や優劣が生まれる人の常は、ここでも例外ではありませんでした。「レディ」と呼ばれる重度障害者の娘を抱えた布川が、自分が一番大きなジョーカーを引いたのだと嘆いていました。
しかし映画のラストで、布川の捨てた娘を引き取る事になったのは清三でした。リーダーが「レディー・ジョーカー」を引きとる形になったのです。
組織が犯した罪の責任の所在は、いったい組織のどこにあるのか。組織を裁くのは難しいですが、多くの場合リーダーが責任を取らなければなりません。恵まれた処遇のリーダーでさえ「リーダーという名のジョーカー」を背負っていたのです。
思い出せば、誘拐された善良そうな現在のビール会社社長も、半世紀も前の前任者の行った差別解雇の責任を取らされることになった訳です。誘拐された社長は、まさに「リーダーという名のジョーカー」に苦しんだのでした。
また、警察内部に犯人の一人がいる事が分かったときに警察は大いに慌てました。責任問題が組織として上層部に波及する事は避けられないからです。だからもみ消されたようです。
クリスマス・ケーキが出てきました。ジョーカーとは誰もが何かしら背負っている十字架の意味だったのでしょうか。
追記Ⅱ ( 映画「ジョーカー」 )
2019/11/9 17:34 by さくらんぼ
社会の底辺で生きる人たちは、「自分はババを引かされた」と思っているかもしれません。
映画「ジョーカー」の主人公も、彼に賛同する暴徒もそうかもしれません。
ちなみに、映画「ジョーカー」の主人公も、映画のラストには、ババを引いた人たちのリーダー的存在になってしまいましたね。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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