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毒親世代と独身世代

今、40代で一度も結婚したことがない人の割合は20〜25%だという。ちなみに1950年代に生まれた人達が40代になった、1990年代ではわずか5〜6%しかなかったのに。

今、40代50代の子供が引きこもりになることも多く、親が困っていると言っているケースも少なくないそうで。

介護士として沢山の方の家庭内事情、背景をチラ見させて頂いてきた経験からいうと、子供がひきこもりになるのは毒親である率がかなり高い。

ただし問題は、毒親かどうかということではなくて、自分が毒親かもしれないということに気付けることがないことが問題なのである。

自分の子育てがいけなかったのだろうか?という自虐はあれど、回答がないのだからその思考自体が雲散霧消に出ては消えての繰り返し。

つまり、コロナにかかってしんどい人間が、「自分はもしかするとコロナかもしれない」とはっきりとした病名を思えるような環境ではなかったということだ。

これはどういうことなのかというと、1960年代から1980年代にかけて、戦後の復興が著しい時代のなかで、新たな家庭の形、新たな母親像、を、必至で模索してきた証なのだ。誰もが日々変わりゆく変化という渦のなかで、情報に踊らされてきていたのだ、と推測する。

あえて昔を真似するでもなく。また、自分流というものもなく。いわんや、家庭や家族、親子関係の在り方について、正解や正しさ、明確なルールなどは存在しないという根本を、誰もが薄々感じていながらも、各々で、ルールを作り出してきている時代だったのだろう。

これがどれだけ困難で、苦痛を伴うものかは、誰もがなんかしらで思うところがあると思う。それだけ私達人間が生きていく上で、家族、という概念は、多大な影響力があるのだ。

中高年同士の結婚を阻む「年老いた親」の存在(東洋経済オンライン)

親を理由にする子供も子供。そう仕向けてきた親も親。これが私自身コラムを読んだ感想だ。

今朝、独身40代の親しい友人からこのリンクが送られてきて、私は以下の返信をした。


          ………………

たぶん、こういう状況にある同年代の人って沢山いるんだと思うんだよね。

「親がいるから」

っていうのは単純にめんどくさいだけなんだと思う。
この年代の人って、比較的親から手をかけ口を出して育てられてきた世代。
だから、逆に言うと
自分で考えたり、自分で動いたりすることがどれだけ億劫かっていうことを体感している世代とも言える。

まあ、結局ハイリスクローリターンのことには労力を使わない。
親の範疇から抜け出て
結婚、子育て、自分の意思で歩いていくことを、客観的に判断する世代だね。

つまり、自分の才能とか能力を見出せることができた人たちは、
井戸から出て自ら歩いていく蛙。結婚も出産もさらっとこなす。壁になる概念がないから。

だけど、自分には才能も能力もないと自分が自分を判断した蛙は、あえてハイリスクローリターンなことへ向かない。

いわば一種の防衛策だね。

          ………………

防衛策…まさにそれ。自分の身を守る手段。

自分の足で歩くことがどれだけしんどいか、

という思考を親から叩きつけられてきた子供は踏み出すことを躊躇ってしまう。ましてや

親の思うとおりに子供がならなければ、毒親はパワーを上げて矛先を子供へむけていく。「自分達は間違ってない」と、親が口にする。

そして子供は、その防衛反応として家族に踏みとどまるのだ。「親を置いてはいけない」と。簡単に言うと程よく自己保身に走るわけですね。

親は親で自分が育てられてきた時代背景を考えると、そこから比べれば全てが変わってきている。

家電が広まり、家事が明らかに変化してきている世代。家事が変わってきたことで…意識は「母としての自分」に向いている世代でもあった。つまり

「一人の人間を育てる」という思い。

正直、二人の母でもある私からすると、どれだけその思考が歪んだ、傲慢なものかはいうまでもないけれど。

つまり、「親が自分達のまっとうな人間性を、子供でもって立証する」という行為を、長年当たり前に親は、行ってきていたのである。近い未来に、これは虐待にあたると認められる日が来るかもしれないと私は感じる。

ただ、親は親で絶えず「これでいいのだろうか?」という疑問符を抱えたままだったのだと思う。雲散霧消が繰り返されているうちは、消えることがなかったのだろうから。

余談になるが、そこでその時代背景に「新興宗教」などが飛躍的に伸びていたわけである。

しかしながら、各々が抱えている疑問符は、毒となって放たれてしまう。

「あなたのためだから」

この言葉を、日本中のどれだけの人が、親から浴びせられてきたのだろう。小さな洗脳である。

今の時代の若者にはこれらは全く通じない。むしろ、その背景が「親自身のためだろ」って嘘も気付いている5G(第五世代)にあたるのだ。

その当時の親世代にしてみれば嘘でもなんでもなかったのだろう。それが真実だと信じて止まない。。。。まさにこれが、始めの部分にあたる。「私は毒親かもしれない」なんて思える隙など皆無である。

「私は親としてこれでよかったのだろうか?」という疑問符を抱きながら、「あなたのためだから」と、親の価値観のレールを走らせようとしていた。親である自分達はまっとうだと信じていたから。

この矛盾に子供が背くパワーたるや甚大なものなのだ。ハイリスクローリターンである。

また、「これは愛情なのよ」と洗脳されてきた子供にしてみたら、愛情を手放したくないと思うのも当然の結果なのである。

親が決めた結婚相手と、相手が死ぬまでずっと一緒にいて、家業をこなしてきた、なんていうおばあちゃんは当時のことを「そりゃ好きな人と一緒になりたいって気持ちはあったよ、でも親には逆らえない時代だったからね…」と、遠い目をして話してくれた。

振り返ればこれで良かったんだ、と、過ぎ去ってきた人は口にする。そこに嘘偽りはない。けれども、今を生きる人にとって「家庭」という世界観が人生に与える影響の大きさを、もっと私達は真摯に向き合うべき時なのではないのだろうか。

おひとりさま、は幸せだ。ただし、自分が生かされている、ということを前提に、自分の足で踏み出せた人だけだと、私は思うのでした。


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)