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「LAST NIGHT MUSIC SAVED MY LIFE」―dj colaboy氏インタビュー、HOMESICK10周年に寄せて

「非日常じゃない、生活の一部にパーティーがある。僕たちにも、来てくれる人にも」

 関西を中心にDJ/オーガナイザーとして活躍するdj colaboy氏。同氏主催のパーティー”HOMESICK”は2018年、10周年を迎えた。京都の繁華街から少し離れた地下鉄駅を抜けてすぐ、鴨川に臨む京都CLUB METROを中心に長く開催されてきたパーティーにcolaboy氏が寄せる想いとは――。開催に至るまでの同氏の歩みとともに訊いた。

就職先の同僚とサンプラー演奏から始まる

 電子音楽との出会いは15歳前後。その頃、深夜放送されていた電気グルーヴのオールナイトニッポンを聞き込んだ。三重県伊勢市で高校生活を送っていた当時、ハードロックやメタルが流行した世代ということもあり電子音楽を聴いている級友は少なかった。京都の大学へ進学後は10人程度の会員数のリスニングサークルに所属。バンドサウンドに熱中していたという。その後、音楽関連の小売業に就職した同氏は、クラブシーンでのプレイヤー/オーガナイザーとしての契機を迎える。

「2000年前後、23歳くらいのころかな。オオヒノ君って同僚に突然『ユニットやらへん?』って誘われて、『浮音(ふおん)』って名前のイベントで初めてのライブをやりました。その時は全然お客さん踊らせるとかそんなんじゃなくて、オオヒノ君ともう一人仲の良かった女の子と僕の3人でサンプラーやPCを使って、ビューってひたすら好きな音出すっていうのをやりましたね」

 ライブ出演を誘ってきた同僚・オオヒノ氏は、当時京都のアンダーグラウンドで開かれていたエレクトロニカパーティー「Comunicate Mute」のスタッフも務めるなど、クラブシーンにおいて顔が広かったという。その縁もあり、パフォーマンスアート「Dumb Type」のパフォーマーPeter Golightly氏が運営するダンススタジオ「京龍館」でパーティーを開いた。そこには後の京都METRO店長となるPsysEx氏(糸魚健一氏)も出演していた。

「METROのスタッフだった糸魚さんとの出会いはその後の活動への影響がでかかったと思います。あと一緒に職場で働いてた人にもSecond Royalの小山内くんとか、ミニマルテクノのDJやってる寺園くんとか居て。思い返せば出会いに恵まれましたね。働いてる人達がこんな感じやから、僕らが働いてたお店の品揃えはめちゃくちゃ良かったと思う。アナログ盤もたくさん置いたり、後で話すけどDE DE MOUSE君の最初のCD-Rとかtofu君が高校生のころのCD-R置いたりとか、やりたい放題やってました」。

やけのはら氏との出会いに続く、小野氏、tofubeats氏

 出会いに恵まれ公私ともに充実し始めたcolaboy氏。オオヒノ氏とともにサンプラーを使ってのライブを重ねながらも「電子音楽の論理的すぎる側面、腕組みして皆が『ウーン』って唸るみたいな小難しさが自分には理解できなくて……。もっとフィジカル的な『楽しい!』と圧倒されるようなのに興味がありました」と当時の気持ちをそっと吐露する。そんな時、心斎橋で開かれていたパーティー「浪華横丁皿三昧」に足を運んだことが、大きな転機となった。当時、イルリメ氏やオオルタイチ氏などが出演し、フリースタイルラップを披露したり、mix CDを持ち寄って配布したりといったイベントは、colaboy氏にとって「肉体的でとにかくすごいパーティーだった」という。

「2005年前後まではイルリメくんが出てるパーティーとか色々遊びに行きまくってました。浪華の他に、ECDさんも出てた『狼煙』とか。そのころROMZのパーティーとかも。SHIRO THE GOODMANのDJがブレイクコアとダンスホールレゲエとラガジャングルとかをmixして本当にすごくて……。よく聴きに行ってたDJとかライブアクトが大集合する『RAWLIFE』っていう関東でやってたイベントに行ったりもしたな」。

 ヒップホップなどダンスミュージックに没頭したことは、仕事のバイヤー業でも実を結ぶ。2002年、地元京都のラッパー・Anarchy氏の自主制作盤を直卸で販売。数百枚売り上げた。「そのことがあってから結構なんでも店に置けるようになったんです。それで自分が好きなやけのはら君の自主盤とか、stillichimiyaとか、デデ君とか置くようになって。あの頃はmixi全盛期だったから、面識なくてもメッセージを送ってました」。公私ともに広がった交友関係が、現在にも繋がっているという。また、同時期にハードコアやパンクが好きな同僚から声がかかったことをきっかけに自らもDJを始めた。その縁から、京都METRO付近にあったマルルでROMZのタカラダミチノブ氏を招くなど、ジャングルやベースミュージックを中心としたパーティーも3回ほど開いたとのことだ。

「マルルでのイベントの後に、やけ君から『今度京都行くからなんかやりましょうよ』って連絡が来たんです。2007年くらいかなあ。それで四条河原町のtimepiece cafe でイベントを開いて。イベントの前に河原町の辺りをやけ君とぶらぶらしてたら前から風変わりな男性が歩いてきて、それが今”HOMESICK”を一緒にやってる小野さんだったんですよね。当時僕は全然知らん人で、たまたまやけ君が知り合いだったから『今からイベントやるんです』って話して、すぐ来てくれて。やけ君きっかけで偶然出会って、現在の”HOMESICK”まで続いているって、ほんまにすごい偶然ですね(笑)。やけ君は僕にとってキーマンだったと思う。そういやtofu君とかもやけ君の紹介やったな」

2008年1月20日、timepiece cafe

 timepiece cafeでのイベントは、やけのはら氏のほかにCHERRYBOY FUNCTION氏やLEGEND オブ伝説(サイプレス上野)氏などを招き4回開催した。その他にも、京都大の西部講堂を会場に「LIVE JUNK」や、PsysEx氏が海外の音響派アーティストを招いたイベントのサポートをするなど仕事以外の場でも活動の幅を広げていった。

「色々やってイベントに呼ぶ人の組み合わせの面白さとか知っていきながら、スピリチュアル色の薄いフィジカルなイベントをやりたいなと思って、timepieceでのイベントを続けてたんです。で、そこに遊びに来てくれた小野さんと一緒にやりますかと意気投合して”HOMESICK”の前身をやりました」

 2008年1月20日のデイタイム。colaboy氏は小野氏とともに、「HEY MR.MELODY」のミスターメロディー氏、やけのはら氏、タカラダミチノブ氏に加えCHERRYBOY FUNCTION氏とtofubeats氏を迎えてtimepiece cafeでイベントを開催。同日の夜には、木屋町のクラブでHEY MR.MELODYの京都版を開催。1部、2部で開かれたこの日のイベントは後の”HOMESICK”に繋がる。

 同年の10月、ボロフェスタの開催と合わせてcolaboy氏と小野氏は再びイベントを企画し、”HOMESICK”を開催。やけのはら氏、タカラダミチノブ氏、小堺彰夫氏、tofubeats氏をゲストに迎えた。「最初はお客さん全然来てくれへんくて。20人くらいかなあ。環ROYくんが来てくれたのは覚えてます」。その後もtimepiece cafeで”HOMESICK”を複数回開催していった。「パーティー名は軽い気持ちで。ECDのアルバム名から取った“season off”ってパーティーがすでにあったから、僕らは“HOMESICK”にしようって言って決めました」。

 「こうやって振り返るとなかなか腐れ縁やな」と笑顔を見せるcolaboy氏。「METROでやることになったきっかけは、まあ紆余曲折があって……。やけ君と僕がやる予定だったのがやれなくなったから、『僕らでやろう」って4回目の“HOMESICK”をやったんです」。LUVRAW氏ややけのはら氏、YUGE氏らとともに初めてMETROで開催。当時出演者のほとんどがリリースなどをしていないにも関わらず200人近い集客を記録した。「こんなにお客さん来てくれるんや、需要があるんや、と思って。それからはMETROを中心に1シーズンに1回くらいやるようになりましたね」。

日々の生活があり、パーティがある。その逆はあり得ない

 多くの人と関わりながら、10年以上パーティーを続けるcolaboy氏。3.11震災直後には開催が危ぶまれることもあった。「あの時僕はちょうど東京に遊びに行っていて。一時的に関西に帰れなかった。3月末に開催予定だった回のゲストがceroとイルリメ君とvideotapemusicで、京都来れへんかもって状況で……。なんとか無事に開催できたんですけど。地震の後も僕らには日々の生活が続いていて、その生活の片隅に『楽しい』ことがあるのって大事やなと」。そう語るcolaboy氏は昨年末、”HOMESICK”10周年に寄せて下記のイントロ文を公開した。

season offというパーティがあるから我々はHOMESICKで…と三条大橋のふもとの王将で軽い気持ちでネーミングしたパーティをまさか10年続けるとは思いませんでした。ですが、初回が2008年10月12日で丸10年、メトロに場所を移しての初開催が2010年1月30日で約9年前。どう考えても10年経ってます。10年で私自身も社会も、もちろんこれを読んでる皆さまにも様々な変化があったと思います。今までHOMESICKに関わって頂いた方々の中には日本を代表するミュージシャン/DJ/文化人になった人もいます。しかし逆に音楽をやめたという人を私は寡聞にして知りません。

10周年記念パーティを派手にブチかます、というのは我々の性に合いませんが、最初期からお世話になっている方々、もはやHOMESICKに欠かせない存在になった方々、初めてだけどパーティの雰囲気にマッチする方々の力をお借りして確実に楽しんで頂けるであろう一夜をメイクしました。日々の生活があり、パーティがある。その逆はあり得ませんのでNO MUSIC,NO LIFEとは全く思いませんが、LAST NIGHT MUSIC SAVED MY LIFE、そんな夜もあると思います。年の瀬でお忙しい時期かとは思いますが、遊びに来て頂けたら幸いです。

なおCITY派パーティHOMESICKは次のディケイドも地に足つけてやっていく所存です。何卒よろしくお願いします。

djcolaboy

 初開催から10年を超え、名パーティーとして遜色ない“HOMESICK”。しかしcolaboy氏は謙虚な面持ちで「僕も仕事とか遊びの中で、自分の生活の一部にパーティーがあったんです。そんなにお金になることじゃないけど、やっていく中で来てくれたお客さんが『楽しい』って言ってくれて。パーティーは非日常じゃないんです。日々の悩みとか辛いこととかそういうのも全部抱えたまま、日常の彩としてパーティーを楽しんでもらいたいし、僕もそうありたいです」と語る。

 「そのために僕たちも地に足のついたパーティーを着実に続けていきたい」。パーティーは朝になれば終わるが、パーティーにいる私たちの生活は終わらない。生活のこともパーティーのことも、全部抱えてこれからを生きる。そこに切れ目はない。すべての出来事が連続して連鎖し、今がある。当たり前だが大切なことをcolaboy氏は語ってくれた。生活に根差したパーティー“HOMESICK”。これからに更なる期待が膨らむ。

【取材/執筆 野依史乃(わんわん)・写真 djcolaboy氏提供】
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1994年生まれ。東京在住ですが国内いろんな地域のクラブにいます。ブレイクコアとラガジャングルを中心になんでもすき。あと犬。記者/ライター/編集の仕事などをしています。私生活においてのライティングはnoteのみです。

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