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一度離れたアシュタンガヨガ。何故ワタシは続けられてるのか?

コロナで緊急事態宣言がでる直前
私はインドの修行から帰ってきたばかりで
インドへの恋しさと
同居してる母親との関係、月経前症候群(PMS)の悪化で心がどんどん荒んでいた。
緊急事態宣言が出てスタジオもcloseになり
正直ホッとした。
練習をすることが凄く苦痛になっていた。
宣言が明けてからも何かと理由をつけて休む日が増えた。
先生のアシスタントということは必然的に
完璧でなければいけない。
人からどう思われてるかを考えるのが嫌だった。
怖くて逃げることで自分を守っていた。

いつからかマットに立つと涙が止まらなくなってしまうようになって
いつからか朝起きることができなくなって
いつからか電車に乗るのが怖くて駅についても家に戻ってしまうようになった。
私には少し心の休憩が必要なんだと思い
英樹さんの元での学びから離れた。

少し心が落ち着いて
人とも接せれるようになってきた頃
ヨガ仲間から今のまま辞めるのは勿体無いと言われ
他の指導者のシャラへ練習に行く。
が、結局どこで練習しても
周りの興味や視線、ジャッチに耐えれず
どこのシャラへ行っても練習を続けることができなかった。

そんな頃今の主人と結婚し
英樹さんから1年ぶりにお祝いの連絡がきたのをキッカケに会うことになった。
練習をちゃんとできてない後ろめたさ、
だけど先生の元に戻りたいと言えない変なプライド。
英樹さんと会うのが久しぶりで緊張してた私は
『戻っておいで』と言われるのを
どこかで期待していた。
しかし英樹さんは
『どんな形でもどこででもヨガを続けなよ。』
と、私に言った。
その時私はポーズをとることが練習とばかり
思い込んでいる事に気がついた。
英樹さんは多くは語らず、その日はそのままお別れをした。

私はいつも言い訳ばかりして
誰かのせい、何かのせいにばかりしてきた。
できない自分、やりきれない自分を後ろめたかった。
日々当たり前のことに感謝することや
当たり前のことをすることがヨガであると
教えてくれていたのに
人からどう見られてるのか?
ポーズができるできないに執着し続けていた。
そんな私に気づいていながらも
怒る訳でもなく、説教する訳でもなく
私がいつか気付くように
先生は何個も何個も種を撒き続けてくれてた。

このまま弱い自分から逃げてていいのか?
甘えて後ろめた自分のままでいていいのか?
いつまでも自信のない自分でいていいのか?
何度も自問自答して
また英樹さんの元で練習したいと志願した。

ヨガは人生だ。
そして、私はラッキーな事に
その人生の生き方や魂の磨き方を
教えてくれる指導者、先生に出逢えた。

どんなに立ち止まっても
その考え方や生き方をヨガが教えてくれる。
悲しみも喜びも。
どんなことがあってもヨガの教えが
私をまた一回り大きく輝かせてくれる。

ヨガを続けていなければ気づかなかった事。
続けたからこそ感じる事。

わたしはこれから先も
どんなことがあってもまたヨガの道に戻るだろう。

そして日々のプラクティスは
決して裏切らない。
今日もまた、明日もまた、
日が出る前に起き
呼吸をしマットの上に立つ。
ただそれだけを続けること。




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