落雁 (短編小説)
細く白い指が線香を摘む
蝋燭の火が横顔を仄かに染める
辺りを襲った俄雨の跡が
湿濡るうなじをつうと伝う
「急な雨でしたので
家寄りのようなことです
すぐ去きますので」
蒸し風呂のような部屋で
私は汗をおさえる
格子戸の隙間から僅かに差し入る
夕前の明り
村太鼓と笛の音
「もう何年も
だれも来て居らぬのですよ」
此の頃の人気無い和室の
畳の湿りを吸う上げたように
気怠い夫人の声は
発した傍から
腐り始める
「珈琲でも、お持ちしましょう」
夫人はそう残し席を立つ
盆の送りか
雨足らずか
雨後の縁側に雨蛙の合唱が居座る
「さ、冷たいのをどうぞ」
夫人は仏壇の手前を涼やかに通りしな座布団に足を取られ精霊馬の茄子を蹴り上げ手にしたお盆をお盆の季節にひっくり返しながら私にのし掛かる
「すぐかたしますよってに、
かたしますよってに」
珈琲で濡れた私の衣服を
布巾でぱんぱん、と夫人は押さえる
胸の突起二つと、鼠径の真ん中あたりを
殊更に、念入りに
「こ、このようにされては困ります
貴女のご主人は私の大切な恩人だった
のです」
白地のシャツにジワリ滲んだ
薄い珈琲色
陰猥な笑みを浮かべる夫人
仏壇から落ちて
畳の上に転がった落雁を
ひと口齧って砕くと
半分程残った珈琲グラスに
口から沙羅沙羅と溢し入れた
「何年もだれも来ぬので
甘いのを切らしておりまして…ホラ」
ひ、ひいぃぃイイ!
私は駐在のお巡りに告げたのです
あれはあまたらずの女、物の怪の類いだと
(ただの変態和風恩人の未亡人女)
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