ユーミンな午後 (短編小説)
休日の午後のコメダ珈琲は休日の午後をコメダ珈琲で過ごそうという類いの人々でごった返している。
何か書き物をする時、私は群衆の中に身を置く。
そこに私にしか見えていない宇宙人が降りて来て不思議な交流が始まることもなければ、急なゾンビがいま私が眺める窓ガラスにへばりついて来ることもない。
市井の人々のぬるま湯のような日々から捻り出されるぬるま湯のような話ぬるま湯のようなおトクの中にこそ私が書きたいぬるま湯のようなものがあるとユーミンが半身浴しながら言っている。
窓の外を飛沫をあげて走るプリウス。等圧線が緩いカーブを描く雨の国道。
運ばれた珈琲に口をつけると、隣の席の見知らぬ彼女は向かい合った男に溜息の溢れるまま話す。
「こんなに筋張って、傷んで。これじゃピアノなんて弾けやしないわ。弾いたことないけど」
今から泥棒をしますという人差し指のハンドサインのまま固まった左手を彼女はテーブルに投げ出す。
「医者だったらわかるんじゃないの?ねえ、私の手…」
男は何も言わずシロノワールを切り分け始める。フォークが下の皿に当たって不快な金属音が出ないよう優しく注意を払っている。男の診断を待つ彼女の瞳がその動きを追う。フォークがゆっくりとシロノワールの頂上を分け入りクリームの渓谷を造りながら最下部へ、十分に間を持たせたら上へと戻してまた新たな術野を開く。激しくはなくとも実直に、正確なリズムで行う男のその運動。何度も上下させるから、彼女の瞳は蕩け出すダイヤモンド。どうして僕たちは出逢ってしまったのだろう。薬指にめり込んだ指輪がお互い違うから、レジ横のコメダ珈琲食玩をねだる子供の叫び声が、こんなにも痛くリフレインする。
私は二口目の珈琲を口へと運ぶと、中高年替え歌のようなものを今日の成果として紙に留める。
やがて彼女と男は席を立ち、プリウスへと乗り込む。街を離れ、郊外へと走る雨の中のプリウス。交差点の中央を直進するプリウスと指示器を出して右折していくプリウス。コンビニに寄るプリウスの隣でお父さんが昼寝するプリウス。プリウスが先に給油しているから後ろで順番待ちをするプリウス。
夜空へなんか続かない薄暗い峠道ドライブ。ギャル曽根似の彼女を乗せたプリウスは前を走るプリウスと正しい車間距離を保ちながら自動運転のように午後のラブホテルへと吸い込まれていった。
「中央フリーウェイ」 荒井由実
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