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つれづれ杏子 #018

「鬱、これは何鬱?」

10月になった。9月の終わり、28日から今日まで毎日泣いている。宮崎で診ていただいていたドクターはスピリチュアルな話も時々するのだけれど、「誕生日の前後は調子を崩す人が多い」「泣きながらこの世に生み出された我々は、誕生日のたびに生まれ変わっているからそれがしんどいのです」ということを教えてくれた。

いま抱えている鬱がそれ由来ならいいな、と思っている。というのは、他にも思い当たる節がたくさんあるから。

「環境の変化」。大きなものはこれだろうと思う。移ってきたのが9月16日。2週間が経過して実家での生活(たとえば犬の世話のルーティンとか母の仕事の時間帯、自分がどんな動きをしたらいいのかみたいなこと)にだんだん馴染んできたけれど、それと同時にそれまで「わからないけどなんとなくやってる」とか、「各種手続きのために徒歩や自転車で移動してイレギュラーなことをする」とかいう、双極性障害にとっては負荷の大きいことをやってきた2週間でもあった。その疲れが、「慣れ」という緩んだところから溢れているのかな、と予想。

「時差ぼけ」。地味にあると思ったのがこれ。宮崎と比べて栃木は日暮れが早い。朝も早いけれども。秋、「つるべ落とし」に日が落ちてしまうこの時期に、日暮れの早い地域に移ることは、ちょっとは影響あるんだろうなぁ、と感じる。

頭がうまく働かない。なので記憶がとびとびになる。同じことを書いているかもしれない。先日のnoteと。

「両親に心配かけたくないプライド」も、厄介。親の前で泣けない。我慢してしまう。茶化すように「今日は67点くらいだわあ〜」とかへらへらしている。ここまで心配かけたんだし何しても親は心配する生き物なのだからいいじゃないかと思うんだけどね。1人で泣くのも寂しいなぁと、なんとなく思う。実家の飼い犬の横でこっそり泣いたよ。

そしてね。泣いても、すっきりしないのだ。寝てもだるい。おやおやこれは思ったより深刻な鬱なのかしら。と思い始める。音楽もなんだかうるさくて聴けないでいて、気分転換がうまくいかない。動こうにも体が重たくていやだ。そして双極性障害の鬱は、過食の症状が出やすい。食べることで誤魔化したい。だから太っていく。それでまた落ち込むという悪循環。

太刀打ちするエネルギーや手段が封じられてしまうくらいになったのだろうか。ここまできてしまうと、相当なんだけど。いやだなぁ。この感覚は、できれば思い出したくないものなのになぁ。

倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!