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井の中の蛙が大海を知るまでの話



”22年の人生のほとんどを沖縄で過ごした”と前の記事で書いたと思いますが実は台湾に来る少し前にも沖縄を出た経験があります。


今日はそんなお話。





目立ちたがりモンスターだった私


世界が滅亡すると言われた1999年、3人姉弟の真ん中っことして生まれた私は幼い頃から食欲旺盛、好奇心旺盛の目立ちたがり屋でした。

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先日久しぶりにホームビデオを見返したところ、生まれたばかりの弟の横で「ねぇさえも!さーえーもっ!!」と母の注意を引こうとし、時には父の回すカメラを独占しようとするひな壇芸人並みのがめつい姿が映っていました。


そんな目立ちたがりをどうにかプラスに引き立ててくれようとしたのか、物心ついた時から両親は私に人一倍人前に立つという経験をさせてくれました。そしてさらに、正月などの集まりには子供は必ず余興をしないといけない(しかもそこそこのクオリティを求められ容赦無くダメ出しもされる)という謎のしきたりのある一族の中ですくすくと育った私。。。


小学生の頃にはお話し大会にカラオケグランプリ、中学では意見発表大会、高校では弁論大会出場に劇団を立ち上げ自主公演をする、など色々なものに手を出し、気づいたら恐ろしいまでの目立ちたがりおしゃべりモンスターになっていました。

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(友達と立ち上げた劇団の自主公演の様子)



そんな目立ちたがりモンスターは高校2年の頃、ある大きな決断をします。



初めての留学生活

それは県のプロジェクトである交換留学への応募でした。ちなみに動機はおもしろそう、ただそれだけ・・・正直当時海外にものすごく興味があったかと言われるとそこまでではなかったと思います。ただ自分の視野を広げたい(そしてあわよくば大学受験から逃げ出したい)そんな一心で申請をし、筆記試験と面接を経て晴れて10ヶ月間のベルギー留学が決定したのです。



そこから大慌てでフランス語を勉強、ビザの準備などをしているうちにあれよあれよと日本を旅立つ日がやってきました。

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(日本を旅立つ前日東京で撮った写真、心なしか不安そうな表情)

12時間のフライトを経て到着したブリュッセル空港、私にとって初めての海外、胸躍るベルギー生活が始まったのです。


最初の3日間行われたオリエンテーションではベルギーの観光スポットを巡りました。目にした光景はまさに映画の中の世界。


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「ここはディズニーかな...」とこの時はまだ実感が湧いていませんでした。

オリエンテーションを終えた後はいよいよホームステイ先への移動です。初めての地で初めての人たちとの家族のような生活が始まります。





と、事細かく書いてしまうと長くなってしまうのですが、結果から言うとこの1組目のホストファミリー、食事を準備してもらえなかったり、旅行に置いてけぼりにされたりと大きなトラブルが次々発生し、5ヶ月目にはホストチェンジになってしまいました。ここで私はいまだかつてないほどのホームシックになります。

(この時の写真や映像を探したのですが本当に全然残っていなかった...)


そこから2組目のホストファミリーを探すまでの間お世話になったのが同じクラスの友達家族でした。この家族がとても優しく、心がすごく救われたのを覚えています。

みんなで一緒にベルギー名物のワッフルを作ったりもしました。

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(右が連日チョコとワッフルを食べすぎてパンパンになった私)


友達家族に2週間ほどお世話になって次のホストファミリーの元へ再びお引っ越し。この家庭が最後のホームステイ先となりました。

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3人姉妹に両親の5人家族の家庭でとても明るく可愛らしい家族でした。彼らもとにかく私に優しく接してくれて、ホストファザーの実家に共に帰省し有名なカーニバルに参加したり、春にはみんなで南フランスにバカンスに行ったりしました。

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(ファザーの地元バンシュのカーニバル)

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(南フランスでの写真)



とここまでざっくりと書きましたが、実はこの2組の家族が良くしてくれたものの、最初のホームステイ先のトラウマなどもあり、私はホームシックを克服することができず最後まで殻に閉じこもった状態で留学生活を終えることとなりました。



初めての挫折とそこから学んだこと

この留学経験は目立ちたがり屋の怖いもの無しだった私が人生で初めて味わった大きな挫折でした。正直留学に行く前は自分に自信もあり、越えられない壁はないとさえ考えてましたが、この留学生活で未熟な自分、自立できていない自分、周りの留学生と比べて感じる劣等感、色々なマイナス思考に精神を蝕まれてしまいます。


たくさんの人に支えられ、応援された留学生活も、最後には自分に勝つことができないままの帰国となりました。



この経験を経て感じたことが2つあります。


まず1つは留学生活は楽しいことだけじゃないということ。


留学経験者から聞く話はどれもこれも魅力的なもので、私自身も出発前は夢のようなキラキラした生活を想像していました。でも実際はその夢も現実となると色々な壁にぶち当たります。家族以外の人と暮らすということ、言語の壁、文化の壁、サポートしてくれる人はいても最後に決めるのは自分自身です。どんなトラブルも乗り越えなきゃいけないのは自分、最終的には自分の弱さとの戦いになります。簡単なように聞こえますがこれはとても大変なことです。


そしてもう一つ言えることは、どんな形になったとしても留学生活で得た経験はこれからの人生の大きな財産になります。


全く成功とは言えなかった私の留学生活も、振り返ると学んだことが山ほどあります。非母国語、異文化の中での生活、経験したこと全てが絶対に日本にいては学べなかったことだと思います。楽しいことだけではなく悔しい思い出もこれからの糧となるのです。これから留学をする人たちへこれは絶対に保証します。




帰国後

帰国から1年後、遅れて受験生となった私は台湾の大学への進学を決意しました。台湾という国に惹かれたのはもちろん、あの頃勝てなかった自分に勝ちたいという気持ちも強くあったからだと思います。

卒業後まずは台湾に行き0からの語学留学、9ヶ月間の中国語学習を経て2020年夏に台北の国立政治大学に合格し、台湾政府奨学金生の枠も得ることができました。


すべての選択やチャレンジの裏に間違いなくこのベルギー留学での経験がありました。





それから

今から約1ヶ月前、私が最後にお世話になったホームステイ先のホストファザーがこの世を去ったという知らせが私のもとに届きました。

彼はものすごく正義感の強い人で当時ホームシックだった私を突き放すことなく、「どうしたんだ、話し合おう」と真正面から向き合ってくれる人でした。時には強く叱られ、ほっといてくれと思ったこともありましたが、今考えると嫌われ覚悟で私に向き合ってくれていたのだと思います。それくらい曲がったことが嫌いな人でした。

知らせを聞いた時、後悔先に立たずとはまさにこの事なのだな、と強く実感しました。いつかベルギーに帰ろう、とは思っていましたが、まさかもう二度と会えないとは思っていなかったからです。今回この記事を書こうと思ったきっかけもこの出来事があったからでした。

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(ベルギーを旅立つ前に最後に撮った写真)


最近私は再びフランス語の学習を再開しました、来学期からはフランス語の授業も受けようと思っています。今更だけど、ちゃんとしっかりフランス語を習得して再びベルギーに帰って彼に、そしてお世話になった人みんなに会いに行こうと思ったからです。




5年前井の中の蛙だった私は初めてベルギーという大海原に飛び出し、波に飲まれ、多くの挫折を味わいました。悔しいこともたくさんあったし、家族や応援してくれた人に申し訳ないと思ったこともありました。そして今その悔しさをバネに、また再び台湾という地でリベンジをしています。


これから先この台湾という地でどんなことが待ち受けているかは分かりませんが、たとえどんなことが起きたとしても、あの時の経験から学んだ精神は助けとなってくれるとそう思っています。そして、家族や周りの人への感謝を忘れずこれからも夢に向かって努力し続けます。





目立ちたがりやの蛙は今、

あの時大海に飛び出して良かったなとそう思っています。









追記

カッコつける癖は抜けないものでしょうか、久しぶりの長文でなんだかグダグダになってしまいましたがお許しください。(このnoteは私の日本語リハビリでもあります)今回は初めて高校時代のベルギー留学を振り返ってみました。あの頃の自分に向き合えるようになったのも本当ここ最近になってからです。私のベルギー留学失敗の理由は”腹を括れなかった”というところにあると思います。どうせなら楽しんだほうがいい!という考えがあの頃はできずにいました。これから留学を考えている方へ、この記事が少しでも参考になればなと思います。不安や期待、色々あると思いますが、あまり深く考えすぎず、全て糧になると思って楽しんで来て欲しいです。

長々となりましたが、私の自己紹介記事はこの辺にして、次回から台湾生活について書いていこうとおもっています。ここまでのご精読ありがとうございました。



2021.07.17



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