私のやりたい古着屋④
今回は破棄される服にどのような価値を付与するかという話をしようとおもう。
素人考えであるのでプロであったり、アパレル関係の人間であったり、デザイン関係の人間であったら、へっと鼻で笑いたくなるだろう話である。
2つ目の理由は手仕事をしたいという気持ちからであった。
私は昔から手を使う仕事が好きで、手芸や料理をよくしている。
民芸品も好きであるし、他国の民族の刺しゅうや自国のこぎん刺しや刺し子の文様が大好きである。
機械によって刺しゅうを施した製品は多く出回っているが、どうも手で作ったものと比べて力がなく薄っぺらで魅力が薄いという印象を抱いた。
確かに機械で作ったものの方が綺麗ではある。
ブレもなく、サテンステッチをする際の重なりや輪郭線のズレもなく、チェーンステッチの粒も揃っており、まことにキレイであるが味がない。
個人的な嗜好であるが、この味のなさが気に入らないのだ。
人の作った物にはブレがある。
サテンステッチはザクザクと刺され輪郭線はズレズレであるし、チェーンステッチも大きくなったり小さくなったりしている。
アウトラインステッチも長くなったり短くなったり一定でないし、刺しゅう糸が少なくなったのか、一定のリズムができあがりつつあった色使いを唐突にやめて違う色を入れたりする。
なんというか、自由なのだ。
機械で作られた工業品にはない自由でのびのびとした所が好きなのだ。
自由でのびのびとして、ずれやムラがあってもそれが味になっている。
生きている。その「生きている」感覚が好きで、機会よりはずっと稚拙かもしれないが、手で作られたものが好きなのである。
ただ単に小奇麗なものは面白くない。確かに綺麗だけれど個性がない。
生きていない。迸りがない。力強さというものを感じないのだ。
ゴミとなっていく古着にほんの少しでも命を与えたいという気持ちもあり、工業化によって少しずつ消失していく手仕事の命を繋ぎたいという考えから、手で刺しゅうした古着を売りたいと考え始めたのだ。
ただ、時間が経つにつれて刺しゅうだけでなく、着用不可な古着を裂織にしてコースターやランチョンマットを作るとか、アップリケやポケットに転用するとか。
使える布地部分をパッチワークしてマットを作るだとか、色々アイデアが浮かんできた。
全て、自分でできるかどうかは分からない。
分からないが、少しずつ、少しずつできればよい。
ちなみにキャプ画の刺しゅうの制作過程
コーヒー豆を買いたいです。