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規範、道徳、正義に関心があります。

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    読んでくれると嬉しい

  • 【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』

    『重要なことについて』を一人でただ読む

最近の記事

社会の成員の間で利益を調整するルールとしては全体主義は忌避されるのに対して、異時点の自分の間で利益を調整するルールとしては全体主義に近いものが称揚されることが多いのはなぜなのだろうか。

    • 人生は配られた手札で勝負するしかないというのも確かに事実だが、配られた手札を嘆き同情を買うこともまたその手札の使い方の一つだろう。この世は弱肉強食だなんだと、あたかも自然的事実を指摘しているフリをしながら、要は弱者は強者に楯突くなと実質的な規範的主張をしようとする手合いは多い。

      • ジョセフ・ラズの価値論、義務論、幸福論【『価値があるとはどのようなことか』】

        ジョセフ・ラズの『価値があるとはどのようなことか』を読んで、重要な議論がなされているように思えたので、個人的にポイントだと思ったところをまとめてみたい。 価値とは何かラズによれば、「価値」とは、私たちの行為や選択を理解可能にする、あるいは正当化するものである。 例えば、モナリザには価値がある、と言った場合、それは私たちがその絵を鑑賞したり慈しんだりすることが、理解可能であり、正当化可能であるということである。 あるいは、私にとってイチゴよりもミカンの方が価値がある、と言

        • 優れた人間と劣った人間が対等に関わることはできない。たしかに、ある尺度において優れた人間が別の尺度においては劣っていることはあるし、その逆も然りだ。しかし、どの尺度における優劣に重きをおくかもまた優劣の尺度となってしまう。かくして全ては優劣という単一の尺度に還元されていく。

        社会の成員の間で利益を調整するルールとしては全体主義は忌避されるのに対して、異時点の自分の間で利益を調整するルールとしては全体主義に近いものが称揚されることが多いのはなぜなのだろうか。

        • 人生は配られた手札で勝負するしかないというのも確かに事実だが、配られた手札を嘆き同情を買うこともまたその手札の使い方の一つだろう。この世は弱肉強食だなんだと、あたかも自然的事実を指摘しているフリをしながら、要は弱者は強者に楯突くなと実質的な規範的主張をしようとする手合いは多い。

        • ジョセフ・ラズの価値論、義務論、幸福論【『価値があるとはどのようなことか』】

        • 優れた人間と劣った人間が対等に関わることはできない。たしかに、ある尺度において優れた人間が別の尺度においては劣っていることはあるし、その逆も然りだ。しかし、どの尺度における優劣に重きをおくかもまた優劣の尺度となってしまう。かくして全ては優劣という単一の尺度に還元されていく。

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        • 備忘
          5本
        • 【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』
          3本

        記事

          一方はAが美しいと言い、他方はBが美しいと言うとき、両者間で美的感性が異なるのか、それとも「美しい」という言葉の使い方が異なるのかは判別し難い。さらに、「美しい」という言葉をどのように用いるかが、単なる用語法を超えて、美的感性の問題だとみなされることがさらに事態をややこしくする。

          一方はAが美しいと言い、他方はBが美しいと言うとき、両者間で美的感性が異なるのか、それとも「美しい」という言葉の使い方が異なるのかは判別し難い。さらに、「美しい」という言葉をどのように用いるかが、単なる用語法を超えて、美的感性の問題だとみなされることがさらに事態をややこしくする。

          考えたことを忘れ去っていくべきだ 忘れることを恐れるな、むしろ積極的に忘れていくべきなんだ 忘れたことを後悔できなくなるぐらいまで忘れていこう 安心して忘れられるように書く

          考えたことを忘れ去っていくべきだ 忘れることを恐れるな、むしろ積極的に忘れていくべきなんだ 忘れたことを後悔できなくなるぐらいまで忘れていこう 安心して忘れられるように書く

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #2:「べし」

          ↓前回 「べし」とは何か倫理学とは人が何をなす「べき」かを考える学問である。しかし、この「べし」というのもまた厄介で説明しづらい概念である。今回はこの「べし」という言葉について考えていく。 パーフィットは「理由」と同様に「べし」も原始的で根本的な概念だとしている。つまり、「べし」を何か他の言葉で定義することはできないということだ。 このような、定義不可能な概念については「理由」について見てきたのと同様に、その使い方を考えてみることで、概念の輪郭を掴むことができる。 パ

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #2:「べし」

          私の人生に意味はあるのだろうか?

          私の人生に意味はない。私にはこのことは疑いえない真理であるように思える。ちょうど、「我思うゆえに我あり」が私にとって疑いえない真理であるのと同様に。 なぜ私の人生に意味などないと確信できるのか。それは「意味がある」という言葉の使い方を考えてみればわかる。 例えば、スマホは私にとって意味のあるものだ。私はスマホがあるからこそ家族や友人と連絡を取ることができるし、世界のニュースにアクセスすることができる。つまり、スマホは私の人生において、人と連絡を取ることを可能にしたり、情報

          私の人生に意味はあるのだろうか?

          地縁を媒介とした共同体から内面性を媒介とした共同体へと移るにあたって、自らの内面を曝け出せないような人はどんな共同体にも属せなくなった。そのことが私の人生においても再現されている。

          地縁を媒介とした共同体から内面性を媒介とした共同体へと移るにあたって、自らの内面を曝け出せないような人はどんな共同体にも属せなくなった。そのことが私の人生においても再現されている。

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #1:「理由」

          「理由」とは何か「理由」はパーフィットの倫理学において基盤となる概念である。しかし、いざ「理由」とは何かと問われるとなかなか説明しづらいのではないか。以下、『重要なことについて』第1章第1節の内容をもとに「理由」について考えていく。 いきなり拍子抜けすることであるが、パーフィットによれば「理由」という概念は定義不可能である。一応、「我々がある態度を持つことや、ある仕方で行動することを、事実が支持するとき、それらの事実は我々に理由を与えると言えそうだ」とはしている(太字は引

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #1:「理由」

          陰謀論者は自らの信念がたまたま社会にとって有害であるだけで、そうでない人と比べて特に知的態度が劣っているとは限らない。しかし社会は、社会にとって有害な信念を受容することを、それがどんな過程であれ、知的に劣っているとした方が有益であるからして、陰謀論者は知的に劣った者と見なされる。

          陰謀論者は自らの信念がたまたま社会にとって有害であるだけで、そうでない人と比べて特に知的態度が劣っているとは限らない。しかし社会は、社会にとって有害な信念を受容することを、それがどんな過程であれ、知的に劣っているとした方が有益であるからして、陰謀論者は知的に劣った者と見なされる。

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #0

          デレク・パーフィットの『重要なことについて』を少しずつ読み進めることにした。本書は21世紀の道徳哲学における最重要著作の一つらしい。これが日本語で読めるというのは何とも幸運なことであり、何とか読破にまで漕ぎ着けたい。 今回は本書の概要について。 サミュエル・シェフラーの序論によれば、パーフィットは倫理学におけるカント主義、契約主義、規則功利主義の3つが収斂する道徳理論があることを示そうとしているらしい。 カントの見解が契約主義に近いものと解釈できることは私も知っており、

          【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #0

          現実の複雑さを盾にトロッコ問題的な極限下での選択という想定を回避しようとする態度こそむしろ非倫理的なんじゃないか、という疑念。 倫理的であるとはそうした極限下での選択をすでに終えた地点に立つということなんじゃないか。そのことから目を背けてしまっていいのだろうか。

          現実の複雑さを盾にトロッコ問題的な極限下での選択という想定を回避しようとする態度こそむしろ非倫理的なんじゃないか、という疑念。 倫理的であるとはそうした極限下での選択をすでに終えた地点に立つということなんじゃないか。そのことから目を背けてしまっていいのだろうか。

          ペットと人間の倫理的地位について

          例えば自分の飼っているペットが病気になったとする。すぐに動物病院に行って診てもらわなければ命に関わるような容態だが、当然そのためには幾らかの診察代や治療代が必要になる。 ここで、財布を手にして玄関に立った私には二つの選択肢が頭に浮かぶ。一つは、このまま愛しいペットを病院に連れて行って診てもらい診察代・治療代を払うという選択。もう一つは、その分のお金をそっくりそのまま貧困支援の慈善団体に寄付しに行くという選択。 もし、後者の選択によって一人以上の人間の命を救えるのだとしたら

          ペットと人間の倫理的地位について

          この瞬間を記憶しておくべきなのだろうか

          「記憶」というものの倫理的地位について最近よく考えている。一般に記憶は良いこととされる。何かを覚えているということは賞賛されることであるし、何か良いことが起きた時にはこの瞬間をいつまでも覚えておきたいなどと思うのが自然であったりする。 過去の事柄を覚えているということが今の私たちにとって概して良いことであるというのは自明であるだろう。家族の名を覚えているから家族のことを愛情込めて呼ぶことができるのだし、レシピを覚えているからサッと料理を作れるのであるし、言葉を覚えているから

          この瞬間を記憶しておくべきなのだろうか

          【書物復権2024】備忘

          春に本屋で見かけて気になっていた書物復権という企画。来年も開催されるようなので、今回は自分もリクエストしてみた。 「書物復権」とは、複数の学術出版社が共同して主に人文・社会科学系の学術書の復刊を行う企画である。毎年、各分野の重要書でありながら惜しくも品切れになってしまった本がこの企画を通して復刊されているようだ。 私は『ロールズ哲学史講義』、鹿島茂『馬車が買いたい!』、ジョン・C. トーピー『パスポートの発明:監視・シティズンシップ・国家』の3冊をリクエストした。 最終

          【書物復権2024】備忘