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【一人読書会】D. パーフィット『重要なことについて』 #1:「理由」


「理由」とは何か

理由」はパーフィットの倫理学において基盤となる概念である。しかし、いざ「理由」とは何かと問われるとなかなか説明しづらいのではないか。以下、『重要なことについて』第1章第1節の内容をもとに「理由」について考えていく。


いきなり拍子抜けすることであるが、パーフィットによれば「理由」という概念は定義不可能である。一応、「我々がある態度を持つことや、ある仕方で行動することを、事実が支持するとき、それらの事実は我々に理由を与えると言えそうだ」とはしている(太字は引用者)。

しかし、この説明では「支持する」ということの意味が明らかでなく、これは結局、「理由を与える」ということと同様のことを言ってしまっているようにも見える。結局、「理由」という概念を他の言葉でうまく定義づけることはできない、とパーフィットは主張する。


これを踏まえた上で、上の説明に一つ気になるところがあるとすれば、理由が事実によって与えられるものだとされている点だ。ある行為の理由となるのは、果たして本当に事実であるだろうか。むしろ、我々の信念や欲求こそが理由となるのではないだろうか。

この疑念については、パーフィットが理由を「規範的理由」と「動機づける理由」の二つに分けていることを理解すれば部分的に解消されるだろう。

そのためには、一般に理由が問われるのはどのような場面かを考えてみれば良い。われわれが何かをする理由を問う場面には、2種類ありうる。


一つ目は、ある状況下で人が何をすべきかを問う場面である。例えば、来週に数学のテストが控えているとしよう。私は友人に何をしたら良いかを聞く。この時、友人がある問題集の39ページから45ページの問題を解くべきだと言ったとしよう。そこで私は、なぜ?と理由を尋ねるだろう。

このような場面では、理由は事実によって与えられる。上の例では、例えば、数学の先生が授業で問題集の該当ページからテストを主題することを述べていた、という事実が理由として挙げられるだろう。このような場面で挙げられるのが「規範的理由」である。

規範的理由が信念によって与えられることはないだろう。もう一度例に戻れば、先生が該当ページから出題すると述べていた、という友人の信念が仮に偽であるならば、私がそのページの問題を解く理由はなくなる。その友人の信念が真であり、それに対応する事実があるからこそ私はその問題を解くのである。これは結局、友人の信念ではなく、それとは独立に定まっている事実が理由を与えているということになる。


次に、理由を問う二つ目の場面として、ある人の行為を説明する場面が考えられる。数学のテストが控えているのに私は一向に勉強を始めない。そこで友人は私に、なぜ勉強しないのか、と理由を問うだろう。

このような場面では、理由は信念や欲求によって与えられるように思われる。上の例では、例えば、勉強したところでテストが解けるようにはならない、という私の信念が理由として挙げられるだろう。このような場面で挙げられるのが「動機づける理由」である。

動機づける理由は、事実によって与えられる必要はない。勉強してもテストは解けない、という私の信念が仮に偽であるとしても、そのような信念を私が抱き続けている限り、私は勉強しないことを動機づける理由を持つのである。


すなわち、「規範的理由」は人々がなすべき行動についての理由であり、「動機づける理由」は人々の現実の行動についての理由であるということになる。

そしてパーフィットは、倫理学、すなわち人々は何をなすべきかを探求しているのだから、もっぱら規範的理由について論じることになる。よって、単に「理由」と言ったときは規範的理由のことを指す。


決定的理由、十分な理由

これらも基本的な用語なので以下にパーフィットの定義を書いておく。特にさらなる説明は必要ないだろう。

「我々がある仕方で行動すべき諸理由が、別の可能ないかなる仕方で行動すべき諸理由よりも強いとしたら、これらの理由は決定的であ」る。また、決定的な理由は最大の理由とも呼ばれる。

「我々があることをなすべき理由が、他の可能ないかなる仕方で行動すべき理由よりも弱くない、あるいは軽くない時、その理由は十分な理由である。」


まとめ

  • 「理由」は定義不可能な概念である

  • 理由には、人がなすべき行動についての「規範的理由」と、人が現になす行動についての「動機づける理由」の二つがある

  • パーフィットは規範的理由について論じようとしているのであり、動機づける理由については無視して構わない

  • 規範的理由は信念や欲求ではなく事実によって与えられる

  • 我々があることをなすべき理由が、他のいかなる仕方で行動する理由よりも強いとき、それは「決定的な理由(最大の理由)」であり、他のいかなる仕方で行動する理由よりも弱くない時、それは「十分な理由」である。

ということで以上まとめてきたが、ここまで細かくやっていたらいつまで経っても読み終わらない気がする。もっとポイントを絞れるようにしていきたい。