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エッセー”絵に向かってた頃”

初めてって何事も大事で、ヒットラーが実は画家志望だったと言うこともご存知の方も多いだろう。

各私も、小学生の写生大会で担任の教師が描いて点画を見、幼少期から漠然と画家を絵を描く事を夢見てた。確かまだ東京都に居た頃と記憶してる。場所は昭和オリンピック公園であった。

時を重ね、右往左往し、生死を彷徨う事が起き、「やりたい事、したい事をしよう!」自分に誓ったからである。本格的に油絵を本格的に始めたのは。

当時は団地に暮らしてた。両親、兄弟は我が古巣”稲城団地”を高校時代から荷物置き場に使ってた。そんな空き部屋が三つもあり、リビングをアトリエ代わりに使ってた。玄関もペンキで塗り、観葉植物が欲しっかたが買えず、アトリエのリビングの壁を緑色で誤魔化してた。

そんな奇行なことしてたが、幸いにも団地の公認であった。何故なら団地自治体に依る依頼もあった。確か海豚を描いて、美観用か何かに用立てられてた。

色々挑戦し、最終作は壁に白キャンバスを3枚飾り眺めると言うので画家時代を終えた。

その後ニューヨークのグッゲンハイム美術館に旅行で訪れた際に同じコンセプトであろう展示を偶然にも拝見し、驚いた。

絵に関して、現状リアリズム以外が好みである。写真家である時点からインスタントで光で描くリアリズム=写真があるので描く気がしない。

ところでかつて姉に家に居候してた頃、廊下で夢中でバレリーナの名画を模写してた。画材がなくハイライトの白を修正字ペンで終えたのが今でも記憶にあるが、姉がそれを見て、「買ってあげる。」と突然言い出してくれたのは驚いた。今思えば、ほんとに欲しいから買ったのか、励ませる為かは見当がつかない。

そんな姉の行動を真似した事がある。ある日、甥っ子の一人が石に興味を持っていた頃があり、「ではこの石が気に入ったから、自分の名前と日付をサインしてくれたら買ってあげるよ。」と申し出た。その後甥っ子は暫く石の蒐集家させてしまったのはいいお笑い話である。今でもそのパワーストーンは大事に手元に置いてある。彼が成人したりした頃に思い出話として引っ張り出そう。楽しみである。

続く。


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