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♪コンテスト参加記事 【間に合った!導かれた運命未満に感謝を】

天だとか神だとか大層なことは言わないけれど、何かに導かれたかと。
「間に合って本当によかった!大切な気づきを見落とす人生になるところだった」
言葉にすれば大袈裟だと伝わりますが、率直な気持ちです。
 

今編挿入画像はいずれも、私が日中一人でお留守番中に撮影したカットです。

  
#家事分担の気づき
  
 
2024年夏で63歳になる私。
青色申告個人事業主歴が、人生の多くの時間を占めています。
幼少時から数値が小さかった裸眼視力が、この十年ほどで急落し、いわゆる弱視の範疇に。
白杖携帯を進言され始めるも、誓って抵抗感からではなく、未だ未使用。
「悪意無き加害者を生み出さず、自身が被害者とならないように」
自身を弁えた行動に努めているつもりです。
 
1980(昭和50)年春、右も左も踏まえぬまま実社会に飛び出させていただき、気づけば40数年が経過していました。
スタートこそいわゆる会社員でしたが、ほどなく世の中はバブル期に。
時代の追い風+数々の偶然にも恵まれ、怖いもの知らずの若輩者が至ったのは、お約束の大きな勘違い。
勢いだけで早々に独立から、奇跡的にここまで幸運に守られてきました。

振り返れば絶体絶命から万事休すの場面もありましたが、
「あれが神風ってヤツだったのかもな・・・・・・」
つくづく悪運だけは強いらしく、今もこの立ち位置で蔓延(はびこ)り続けられています。
 

大切な相棒も酷使11年目にと津乳中です。

 
『イクメン』なる言葉など存在せず、週休2日など馴染み薄かった昭和から平成初期を、懸命に泳ぎ続けた青二才。

男は外で仕事・女は家を守るもの。

令和の時代では陳腐と響くこの価値観に、幾分の疑問と反感を覚えつつも、
「男は狩人として、生きていけるだけの金は必ず手渡すから、任せろ!」
「仕事は極力家には持ち込まないから安心しろ!」 ← ?
寺院の長女として三世代の大家族で育った家内は、この我論に一切異議を唱えることはありませんでした。
 
『家庭を顧みず必死に働き続けた』
自己中で無理矢理このように言い換えられなくもない、私の小さな人生。
『家事放棄もしくは家事からの逃避』
こちらのほうが簡潔正直ですし、万人に伝わりますね。
 
家事・育児・最低限のご近所親戚PTA関連のお付き合い・パート勤務etc~
いずれも我関せずなのに、自身の気分だけで良きパパを気取っていました。
 
野生のライオンの雄は、実際には寝て食っているばかりだとか。
百獣の王には天文学的に遠すぎる私も、根っこだけは近い世帯主でした。
 
 

★2014年春・特盛りで訪れた転機

  
周囲の大人たちの、今思えば正しい判断だったのでしょう。
小学校高学年から、父方の祖父母と寝食を共にしていた私。
両親とは疎遠以上実質絶縁状態が続いたからこそ、ここまで己が人生を謳歌し続けられたと、今は謙虚に受け止めています。
 
この年の春に実父が鬼籍に。
同時期に一人息子が就職独立、家を巣立っていきました。
私の立場から勝手を申せば、戸籍制度が整いすぎている感が否めぬこの国。
 
親の面倒は子どもが責任もって見るべきである。
 
誰もが疑いなく声を揃えるこの通念、自身の生い立ちには理不尽も、郷に入れば郷に従わざるを得ません。
 

調理用の食材管理は相方に一任しています。


2019年春頃から認知症の進行が隠せず、元来の性格ならぬ特性が顕著な実母から、いよいよ目が離せなくなり始めました。
実の親子といえども、相容れぬ年月の長さと、一個人同士の相性の不合致も見過ごせません。
一つ屋根の下の暮らし、なる選択肢は、私の中には欠片もありません。
 
さらにこのタイミングで弱視の進行が顕著となり、先述の体調に。
年齢・学歴経歴資格などを鑑みるまでもなく、健常者としての外勤は実質不可能です。
還暦カウントダウンの私たち夫婦は、これまでのライフスタイルを一旦リセットから、仕切り直しの再出発の必要に迫られました。
 
私の悪い癖、またしても前説が長くなってしまいましたが、ここまでの経緯あればこその、ようやくの本題です。
 
 

★すべて事後報告の私が初めて切り出した相談


一つ屋根の下で暮らし初めて、丁度30年目でした。
新しい生命を授かるまでの20代中後半までは、当時俄に流行った記憶が朧気な、
 
DINKS.
 
互いの住居は一緒でも、各々が鍵を常時携帯から、24時間各々が自由放題。
気づけば一週間以上顔を合わせず、だからと相手の行方を案じることもありませんでした。
携帯電話が一般普及する前だったからこそ、成立していたかと思われます。
 
「二十年一本勝負だ!こいつが独力で生きていけるように育くもうゼ!」
プロレスになぞらえた台詞だけは立派の極みも、そこからの二十数年間、私はこれまた先述の調子でした。
 
・有り金を数え直して&この先どのような経済事情が想定されるのか?
・互いに各々何ができなくて、何だったら挑戦しても構わないのか?
・今後どのタイミングで、どのような悪しき展開が想定されるのか?
・それからそれから・・・・・・
 
頭の中で何度も予習確認から、いざ切り出そうとしたその時でした。
 
「私が外で稼いでくるから、アンタが家事でできること、全部やってよ」
「へ?」
「これまでの30年とは真逆の立ち位置よ!私が狩人でアンタが在宅主夫!」

しばしの沈黙を待たずに頷いていたこと、今も記憶に鮮明です。

☆ 命名 : プロジェクト・家内が家外

発案から即決でした。
 
 

★最初から結論は一択!ならば実践あるのみ!

  
方向性が一致すれば、そこからの相互確認作業はスムーズでした。
もちろん臨機応変、すべてが杓子定規ではありませんが、
「まずはざっくり、この線で始めてみようよ」
幹となる30年から31年目、子供が独立後の初老の二人暮らし。
夫婦の数だけベストとされるスタイルは、それぞれ違って当然です。
ちなみに私たちが決めた大まかな骨子は、次の通りでした。
 
・家内が外勤に専念できる環境を最優先。
 
それまで短時間勤務だったパートを、フルタイム勤務に変更。
希望公休は極力申請せず、早出残業もウエルカムの姿勢を雇用先に伝える。
家事は私がリスク回避で手を出さない、刃物を用いた調理(食材調達含)と裁縫のみ、これまで同様に担当。
 
・家庭を維持する上で必要な全般(大半)+ 在宅仕事は私の役割。
 
掃除・洗濯・布団の上げ下ろし・食器洗い・日用品全般の買い出し&在庫管理・家計簿・預金管理など、いわゆる専業主婦に準じる役割を担うことに。
これらにプラスアルファで、
「これだったら微額でも稼げるだろうし、俺にはこれしかできない」
と見極めた在宅仕事が加わります。
 

非常用も兼ねた白湯作成は私の担当。
生活消耗品も切らさぬように。


指針が決まれば善は急げ、なのが、私たちの共通点。
もちろんこちらの都合だけで、翌日から明確に切り替えられるはずもありませんが、移行期間も楽しかったです。
 
「初心者と高齢者マークのお留守番在宅ワーカー、悪くないぞ!?」
午前6時に起床から、7時半前には家内を仕事に見送る毎日が始まりました。
 
 

★これだけはオマエは触れるな!唯一譲らなかったこと

  
この章に綴った内容だけを切り取り出すと、私の人間性どころか、人として認識いただけない可能性大であること、重々承知しています。
それでも各々、その歴史、関係性、そして記憶が存在して当然です。
 

(10/16/2023更新記事) 

(10/20/2023更新記事)
 
 
「あの人(=実母)とは接点を持つな!どんな強靱な気持ちを持つ人でも、あの異常な特性に、持っていかれてしまうから」
黙って傾聴を続けてくれた家内に、私は続けていました。
 
「長男一人っ子だからと、この役割から逃げられないこの国の通念が、俺に言わせれば理不尽な現実だよ」
だけど逃げられないなら、逃げるだけそれは無駄な労力です。
「だからオマエは少し離れた場所から、冷静に俺を見ていてほしい」
「持って行かれそうになっていたら、俺に喝を入れて、目を覚まして軌道修正してほしいんだ」
これだけは頑と譲りませんでした。
この判断は今も間違っていないと確信しています。
 
あの日から数年、
「ちょっとアンタ、また持って行かれているわよ!妙なことを言ってるよ!鏡で今の顔を見てこらんなさいよ」
幾度忠告を届けてもらったのか数えるのも面倒ながら、この人生終盤のノルマは現在進行形。
これも『重要な家事の範疇』だと捉えています。
 
 

★反省と発見と達成感の連続が愛おしい毎日

  
人生の多くの社会人としての時間を、小さなお山の大将気取りで歩んできたようです。
個人事業主は一人親方。
どんなに努力しても、その姿をすぐそばで見守り・励まし・賞賛してくれる存在は基本ありません。
反対に取り返しのつかない大失態をやらかしても、叱ってくれる身内もおらず、全責任を自身で追う働き方です。
自分自身のささやかな進歩・進化を見過ごさず、常に自身を鼓舞する必要があります。
 

こちらも私の管轄。
皿洗い系の手際には密かに自信アリ。


これが実践できていたか否かはさておき、日中室内に自分独り、慣れない家事との格闘に、この長年の習慣がプラスに作用したようです。
 
・少し前よりも早く綺麗に洗濯物が干せて、畳めて、降雨に気づいて取り込んで。
・食器類の洗浄も適量最小限の洗剤で、効率よく綺麗に洗って濯いで。
・拭き掃除の比率アップで、室内の空気感が格段に良くなることに気づいて。
・それからそれから・・・・・・
 
専業主婦とされた人たちって、毎日こんなに忙しかったんだな。
旦那と子どもを送り出し、テレビの前でおやつ頬張ってゴロゴロなんて、とんでもなく失礼な話だよな・・・・・・
 
これも家内の提案で、テレビもDVDも持たない生活11年目ですが、画面の前に数十分座っている時間など、どこにも見当たりません。
文字を原稿に、おたまじゃくしを五線譜に並べる我が在宅仕事には、それなりの集中力を要します。
新聞や文庫本の小さな文字は目視確認できませんが、文明の利器パソコン(ワープロ)機能に、ここでも助けられています。
黒背景に大きな白文字であれば、こうして無理なく文章をタッチタイピングできます。
 

同コンテストのテーマとは少しズレるので、仕事机周りの画像はモノクロで。

 
時代がズレていたなら、こんな家事分担の晩年を生きることもできず、正真正銘お荷物野郎だったかもしれないな。
俺、やっぱ何かに守られているんだろうな。
 
家事をどうにかこなしつつ、時間をひねり出しての格闘に集中すれば、ベランダの外が真っ暗になっていることも。
 

家族の一部。

 
こうしてそれぞれの作業が最低レベルでこなせるようになれば、自ずと創意工夫が始まります。
ここでは詳細は割愛しますが、これだけは控え目に明記できます。
 
今なら室内掃除と洗濯全般、家内より俺の方がスキルは上かも?
 
家事分担は日々語り尽くせぬ新たな気づきと、何より家内平和を届け続けてくれています。
 
これホントの話ですよ。
 
 

★そして辿り着いた優しく素敵な現在地

  
午後から天気予報が伝えていなかった降雨の日、帰宅した家内の職場報告は九分九厘、このお約束の小笑いネタで始まります。
 
「今日も新人さんに尋ねられたわ」
「何を?」
「ご主人はどんなお仕事をされているの?って」
私たちの間では漫才の台本すなわちお約束です。
 
「雨が降れば洗濯物を取り込む仕事ですよ」
大阪人なら瞬時に笑ってくれるも、地方ご出身者の反応は微妙だとか。
「それだけじゃなくって、雨が上がればもう1回屋外に干す、ダブルワークですよ」
ここで先輩のパートのおばちゃん軍団が、お約束のツッコミを。
「いいなあ、それ!ウチにもひとつ欲しいわ!あーっはっはっはっ!
 
職場の円滑な人間関係構築、微力になれていると嬉しい瞬間かも?
 

他人さまの目には、こんなふうに映っているかな?

 
家内の公休日、買い出しの荷物持ち担当で一緒に歩いていると、時折彼女の同僚と遭遇することが。
背中まで届く長髪を束ね + 太陽光が眩しいので濃いサングラス姿の私。
自由業でオシャレには無頓着も、刺繍の入ったジーンズなど、そのような服装が主体です。
自分としてはあくまで自然体ですが、どうやら上記の『一家に一つキャラ』とは対局と映るらしく?
 
「あーあ・・・・・・同僚の○○さん、こっちを見て逃げていっちゃったわ」
 
すんません(大阪弁陳謝)。
 

My little woeld.

  
「残業にしても遅いな・・・・・・20時で向かいのスーパーも閉まってしまうのに」
通常なら 16:30 で終業の家内、忘れた頃にこれが繰り返されています。
自身の配偶者自慢ではありませんが、年齢的に嘱託雇用契約ながら、その実績を評価されているらしく。
詳しくは綴りませんが、正社員(正規パート)以上の職責権限報酬を・・・・・・以下略。
となれば、これは当然の展開です。
 
洗濯物も畳み終え、先に入浴を済ませ、短時間の適量晩酌も後半突入。
心配なのはあくまでその日の晩飯で、彼女の身ではなく?
『鍵っ子』なる表現も不適切とされるらしい昨今ですが、そんなお留守番の子どもの感情が、それなりに理解できるような気がして?
 
小さな足音が、階段を上がってきたようです。
スリー・ツー・ワン・・・・・・
ジャストタイミングで玄関の鍵が回り、扉が開く気配が届きました。
 
「おつかれ!今日も残業か?それより今日の晩飯は何かな!?食材買えたか?頼んでいたカップ麺は安かったか!?・・・・・・」
「(息を切らせながら)いきなり一気に好き勝手畳みかけないでよ!」

 

せまいからこそ たのしいわがや。


すんません。

天気予報が見事に外したこの日の天候不順、洗濯物を終ぞ雨にさらすことなく、室内外を2往復で乾かしたんだぞ・・・・・・
 
 
 
3/17/2024 (SUN)  書き下ろし

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