灰と赤の国

修士一年 島崎紗椰

「プレーゴ!」
 威勢のいい声がとんできて、目の前にガタンと大皿が下ろされる。
「ぐ、グラツィエ」
 気合いを入れて「r」を発音するが、恰幅のいいウエイターは気にする風もなく軽く笑って去っていった。
 イタリア語は「r」が大事。その程度の知識しか持たず飛び込んだものの、カタコト英語でも笑顔が返ってくるし、何より「なんとなく」が通用する国だというのが幸いだった。
「ああ、パスタ?ロングパスタね?」
 パスタ、パスタ、と呟きながら手で細長い物をジェスチャーする私に対し、まるまると太った女主人は汚れたエプロンで手を拭きながらオーダーをとる。
「トメィト エンド モッツァレラ」
「ウィズ トメィト エン モッツァルェッラ?」
「スィ、スィ!」
 やたらとハネるクセのある英語だが、母音が日本語と似ているので聞き取りやすい。アメリカに行ったときよりも苦労せずコミュニケーションがとれる。
「プレーゴ!」
 どうぞ、と置かれた大皿には大ぶりのペンネと熟したトマトソース。ロングパスタの姿はなかった。
「ぐ、グラツィエ」
 その地の料理を食し、その地の人々の気質を真似るところから、旅ははじまると思う。

 石畳と帝国の遺跡、空気までが濃く感じる。大聖堂、ルネサンスの絵画、理想の人体像を追い求めた彫刻群、そして鮮やかな赤のピッツァとパスタ。ヴェネツィア、フィレンツェ、そしてローマまで辿り着いた私は、貪るようにイタリアの風土と芸術を堪能していった。
 ローマでの最後の思い出に、ある現代美術館に赴いた。午後にはナポリ、そしてアマルフィまで移動するので時間はあまりない。足早に、しかし見落としのないよう巡っていく。古典芸術に浸かってひたひたになっていた私にはちょうどよい息抜きだった。重厚な大理石の建造物に囲まれ過ぎたせいか、精神的な疲労が溜まっていた。見たことのある現代アーティストたちのスタイリッシュな作品に、やっと息がつける。しかしそれもある部屋に辿りつくまでだった。
 その人気のないブースに足を踏み入れた瞬間、身体は思わず固まってしまった。墓だ。一定の規格に印刷されたモノクロ写真が、天井から透明なワイヤーで吊るされている。すべて目線の高さで揃えられ、宙に浮かぶ灰色写真は、列をなして矩形に並ぶ。まさに墓場だ。
 監視役の女性が怪訝な目を向けてくるので、なんともない顔をしてまた歩きだす。自分の足音が静かな部屋にやけに響いて聞こえる。写真のひとつに近寄ってみると、全体から受け取った印象と変わらない、死臭のする場面が写し取られていた。
 さまざまな死の場面。自ら命を絶った男や女の姿、何者かによって破壊された肉体、何かを無理矢理奪い取られた者の目。不思議と、悲しみや怒りといった激しい表情が写されていても、それをひとつの出来事として淡々ととらえる写真家の冷静な目が透けて見えた。だから血肉とぶ写真も、こうして鑑賞物として目を背けずに見られるのだろう。
 この惨劇は現実に起こったのだろうか。様々な時代の革命の写真だろうか。壁に備えられたパンフレットに手を伸ばすが、映画か何かのフィルムであってほしいと望むあまり、羅列する年号が見えた途端に、折り畳んでポケットにしまっていた。
 ゆうに三周は見て回っただろうか。心臓が落ち着いてきた頃、1枚の写真にふと目がとまった。
 荒廃したビルのようで、閉められたシャッターにペンキで殴るように書かれている。
「PREGO!PREGO!PREGO!」
 プレーゴ!プレーゴ!プレーゴ!
 どうぞ!どうぞ!どうぞ!
 脳内でいろんな音で再生されたその声は、しかしどんな感情で叫ばれたのか想像も及ばなかった。アルファベットの大きさや筆の勢いに男性的な特徴を感じる。うらびれたビルに落書きをしたのは革命に勢いづく若者か、もしくは仕事を、家族を失い狂気に苛まれる男だろうか。どうぞ!どうぞ!どうぞ!その人は何を差し出している気になったのだろうか。搾取された人間の開き直った叫び、そう言いきってしまえば簡単だ。しかし諦念ばかりではない、強さがあった。狂気と正気の狭間で漏れでた叫び声は、受け入れざるを得ない現実に対しての宣戦布告にも見えた。誰のために書いた訳でもなかったであろう言葉が、こうしていま、時代も違う、国も違う人間に突きささる。
 我々が想像するイタリアンからはほど遠い、自由と人間愛を剥奪され続けた国の歴史がある。「名誉なき戦勝国」。WW1終結後、戦勝国となったイタリアは自国のことを自嘲してこう呼んだ。大戦の影響から度重なる不況、溢れ返る失業者、貧農の暴動。党首の暗殺と混乱する政権。「おはよう、今日の総理は誰?」首相の頻繁な交代はこんなジョークをうんだ。勝利の代償は現代に続くまで重くのしかかっている。1970〜1980年代、暗殺とテロの歴史が続いた「鉛の時代」、1990年代は治安部とマフィアによる虐殺事件が相次いだ。しかし悲嘆にくれるだけではない国民性があった。開拓者たちによる自由への渇望と、人間の愛の謳歌がたくさん残されている。人間とは何か。ルネサンスの巨匠たちが希求し、イタリア各地に植え付けた種は、血の染み込んだ土にもしっかりと芽吹き、いまもなおイタリア精神に実っている。
「プレーゴ!」
 目の前にガタンと大皿が下ろされる。シーフードとトマトソースのピッツァ。「グラツィエ」と微笑むと、ウエイターもまたにこやかな表情で会釈してくれた。本当に笑顔の多い国だ。頬張ると、香ばしい麦と甘酸っぱいトマトの香りが鼻孔に広がる。あの墓場の灰色と鮮やかな赤が、わたしのイタリアの色になった。