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怪物だーれだ?!

今年も年始からアクセサリーの制作を続けております。
新しい作品は、撮影後にいくつかまとめてご紹介させていただきます。

そんな最近ですが、相棒と一緒に自宅で映画やテレビシリーズの鑑賞も続けております。
前回、「雪山の絆」について書かせていただきました。
今日も映画について、思ったことを綴っていこうかと思います。

今日は是枝裕和監督の「怪物」です。
かなり前から気になってました。相棒は現職教師、
私も20年ほど日本で高校講師をしていたので、その意味で
どんな映画なんだろう?と興味津々でした。

結果は、是枝監督らしい風景美と現代の問題を提起する内容で、
わかりやすさもあるけれど、
最後まで真相がわからないミステリー要素もあって、
あっという間のひとときでした。

「怪物」という名の割に淡々とお話は進みますが、
キャラをよく凝視していくと、それぞれの念と言うものが深いので
ゾクゾクっとした不気味さを感じる場面もありました。

お話は、数日間、もしくは数週間にあったある連続的出来事を、
登場人物それぞれの立場や目線で紹介をしています。

そこに2人の少年の友情と性の葛藤を絡めた別の背景が
絡まってきます。

大人からすると謎に包まれた子供達の不可解な行動や言動。
それらに翻弄され、騙されていく大人たち。
何か秘密を隠していて真相が見えてこない焦ったさが最後まで続きます。

そして、

大人が少年たちへの誤解に気づいた時、
少年たちはどこへ行ったのでしょうか。。

ここからは私の見解です。(ネタバレ有りかも?)

前評判や宣伝では、
「どうも大人には見えない子供の所業が「怪物」なのでは?」
と言う想像を掻き立てるものとなっていました。

やはり、子供というものは、大人の見えないところで何やってるかわからない、
大人の目をくらますためにいたいけな瞳を向けて平気で残酷な嘘をつくんだよね。

序盤は確かにコクトーの「恐るべき子供たち」を匂わせるような雰囲気があって、
こういうお話を見てきた人はそこでピンとくると思います。

しかし、実はこれが曲者で、ステレオタイプ的なイメージで観てしまうとこの映画の本質を見失う気がしました。

実際、子供たちはすっとぼけて誤魔化したり、嘘を言ったりして大人を翻弄させます。そして、親や子供を思う教師はとことんその嘘に騙されていくのです。

しかし、子供達の立場からすると、嘘をつくことは、大人が思う以上の深刻な悩みを隠して生きるための理由があったのです。

子供たちは、大人が勝手に子供たちにかけた理想や希望、期待、そして大人たちの執拗な思い込みや依存の度合いが増し争いにくくなるにつれ辛辣で取り返しのつかない嘘をつくようになっていきます。

元々純真な子供たち、今度は自分がついた嘘や大人の期待に応えられない憤懣に
追い詰められていきます。

主要の2人の少年たちは、現実逃避の場所を見つけます。
そこで、友情を育み、愛情と結びついていきます。
しかし、それが異常でありタブーである、大人の期待とは逆の意識の芽生えであることに苦悩するのです。

彼らを悩ます社会常識、親の固定観念、依存心は、
そのもの「怪物」となって彼らの奇異な行動を誘導して行ったのでした。

彼らは時に死について語ります。生まれ変わりや体が無くなることについて
いろんな考察をしますが、ラストにはその答えを見つけます。

そして、少年たちの心の解放を表現する映像で終わります。

しかし、取り残された大人の行方は分からず終いです。

あくまでも勝手な思い込みですが、これがなんとなく
監督からの親への罰のような気がしました。

私個人としては、怪物は親じゃないかな、と思いました。

そして、この映画のもう一つのポイントは、
学校の校長先生。

非常に意味深な物言いをたくさんします。
彼女も大人です。そして、事故で亡くした孫、
自分たちの子供達との関係もうっすら見え隠れします。

まるで、どこで間違えちゃったのかなぁ、、という表情は、
田中裕子でなきゃできない演技でした。

普段薄ぼんやりしているのに、
なんだか主張する時にはキリッとした目線を注ぐ、そして、
生徒に大人が怪物たるセリフを告げるのです。

それは主人公には絶望とも言える言葉かもしれません。

あの姿にもゾクっとしました。

他に色々ありますが、ここら辺でw。

社会問題もそうですが、
個人的には改めて教育というものについて考えさせられました。

これについてはまたいつか。。

今週もお身体大切に元気にお過ごしください。


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