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恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(3)去る彼女、見守る彼

 何だか舌足らずすぎる考察だと思われるだろうが先を急がせてほしい。今回は80年代について。

 この時代はTVのCMソングが話題になった。大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」(1984年 作詞:銀色夏生 作曲:大沢誉志幸)もそのひとつ。この曲では、彼女は「輝いた季節」の想い出を残し、彼のもとを去っていくらしいが、その理由は説明されない。あとに残された僕は途方に暮れながらも「君が選んだことだからきっと大丈夫さ」と彼女の意思を受け入れる。

 1975年財津和夫がかいた「サボテンの花」では彼女は彼が愛し足りなかったため去ったとされる。彼女は彼の愛をよりどころとして生きている存在である。そして彼の愛が十分でないため「ほんの小さな出来事」に耐えられなくなって出ていった、と彼は考える。しかし、1984年の彼女はどうもそうではないようだ。

 彼女は彼女の生き方を愛とは別の次元で選択したのではないだろうか。だからこそ「僕」は途方にくれてしまうのだ。「ひとつ残らず君を悲しませない」生き方が彼女には必要だ。彼は彼女の選択を尊重し、去っていく彼女を見守って、優しくそれでいいんだ、大丈夫だよと認める。

 去って行くのは彼女のほうばかりではない。BOOWYの「MEMORY」では原因は別の彼に心が移った彼女にあるが、彼のほうから去って行く。心残りを振り切って彼女が彼の腕のなかでまどろんでいる間に、彼女を傷つけないように去って行くのだという彼は、どこまでも優しい。

 BOO(Φ)WYは「MORAL」では突っ張った少年に過ぎなかったが「BEAT EMOTION」からはすっかり洗練された優しい大人に変身する。

 「いつも愛はすり抜けたけれど」、つまり勝手してばかりだったけど「傷つくことにおびえないで」僕を信じてくれれば、「ONLY YOU」といって、守って幸せにしてくれるらしい。時にはパーティーの後の静けさのなかで「待っていてくれてありがとう。僕はこれからは君を永遠より永く愛するよ。」などと感謝とともに告白してくれたりする。もちろん信じるか信じないかは彼女次第だ。

 男性の女性に対する人口比が少しづつ増大し、男女雇用機会均等法が施行されていくていくこの時代、女は自由にその生き方を拡大し、男はどんどん優しくなっていく。

 布袋のギターの華麗なリフと氷室のリリシズムによって魔法にかかった女子は、自分の自分らしさを優しく守られるのが恋だとも信じたが、一方で男子は、そのBOOWYの身体的パフォーマンスとしてのGIGSに憧れ、その格好良さを自分のものにしたいと思った。

 バンドを組み、BOOWYの世界を自分のものにしたいと思った彼らは、手に入れた楽曲の創作の手法で、果たしてどんな世界観をつくっていくのか。BOOWYは時代がバブルに向かって裕福な社会へと上昇していく時代のバンドだ。しかしすぐに時代は坂を下り始めるのだ。

(つづく(きっと))

 

 

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