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表現者と創作物の悲惨な関係性とは。『エンド・ロール』、冒頭7,000字試し読み

第三十一回文学フリマ東京にて頒布予定のSF短編集「エンドロール」より、表題作『エンド・ロール』の冒頭7,000字を試し読みとして掲載します。本短編集はkindle版も公開予定なので、気になった方は是非Twitter(@satoru_arasi)のフォローをお願いします。 

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「そろそろ彼女の声も消えてきたかしら」
 アクリル越しの第一声は決まってこれだ。
 そして私の返答も基本的には変わらない。ただ、多少のバリエーションは持たせるように努めている。何分実績の少ないフリージャーナリストの身なのだ。いつ取材相手に飽きられ、仕事が打ち切りになるか分からない。
「いえ、今日も”あなたの声”に案内されてここまで来ましたよ。地下鉄とバスを乗り継いで、最後に徒歩を十五分。おかげさまで次からは記憶だけを頼りに辿り着けそうです」
「そう。お役に立てて光栄だわ、赤木統子さん」
 素っ気ない態度とは裏腹に、彼女の眼からは興味が失われていない。この打ち返しは少なくとも失敗ではなかったらしい。
「まあ、まだ一週間も経ってないしね。これからどうなるかってところね」
 アンニュイな表情でカウンターに肘をつくその姿は、お世辞にも美しいとは言えない。にも関わらず目線が彼女に集中してしまうのは、やはりその声のせいだろうか。
 ――そろそろ彼女の声も消えてきたかしら。
 彼女の生きる業界に私は明るくない。今回の事件がどれ程の速度で世の中に変化をもたらすことになるのか判断できない。しかしもし街中から彼女の声が消えるとすれば、それにはかなりの時間を要するのではなかろうか。私がこれから書く記事の出来は、その速度を導出する変数のひとつとなるはずだ。
《面会時間は残り二十五分です》
 音の鳴った方へ視線をずらすと、円筒状のドローンに埋め込まれた単眼のカメラレンズがこちらを向いていた。省庁や空港を徘徊しているパトロールドローンに似ている。たしか大手の警備会社が開発したものだったか。昨日までの面会にはこんなもの、存在しなかった。この部屋にのみ導入されているのだろうか。
「ふふ、面白いでしょ。こんなところにもこの声が居るの」
 悪戯っぽく笑みを浮かべた彼女は、ドローンから発せられた台詞を真似てみせる。
「《面会時間は残り二十五分です》」
 鳥肌が立つ。抑揚こそ違えど、彼女とドローンの声色は全く同じだった。流石に目の前で聞き比べると、界隈に疎い私でも現実感を失いかねない。
 正真正銘彼女が音声自動生成AI《ユニ》のオリジナルであることを感覚器官が理解した。
 そう、私をルポライターとして雇ったのは、いまや日本で最も有名な声の持ち主である柊木灯だ。音声アシスタント系のアプリや、公衆の音声ガイドサービスを使用した経験のある人間なら、その声を聞いたことがあるはずだ。
 東京で記者として活動する私も彼女の声を耳にしない日はない。いまや街中を歩くだけで彼女の声が聞こえてくる。
 そんな柊木灯は数日前から殺人未遂の容疑で拘留されている。
 私はフリージャーナリストとして彼女から事件のルポルタージュを書くよう指名された。
 私の来歴からすれば大抜擢の仕事といえる。


     2

「ユニの名前の由来ですか。そうですね。私としては《Universal and Natural Interface》の略という説を推しています。単語の頭文字を採ってUNIです」
 そう語るのは音声自動生成AI《ユニ》の運用を手がけるコミュホライゾンのCEOである大澤仁だ。慣れないビデオ通話に戸惑う私の反応を不信感と勘違いしたのか、大澤は慌てて言葉を重ねる。
「ああ、すみません。変な話、社内でも意見が分かれてるんです。実のところ誰もどこからユニという単語が出てきたか覚えてないんですよ」
 取材相手の人柄をはかるために可能な限り対面での取材を信条としてはいるものの、今回は時間的な制約で叶わなかった。パソコンの画面越しに映る彼の姿を見る限りでは、人のよさそうな好青年に見える。
 ――Universal and Natural Interface.
 直訳すると《普遍的かつ自然なインターフェース》という意味だろうか。お世辞にも面白味のある命名だとは言えない。しかし正式名称がどうであれ、すでにユニという名前が一般に深く親しまれていることも歴とした事実である。
「ある程度謎めいていた方が魅力的だと思いますよ」
 当たり障りのない返事をすると大澤は、そう言ってくださると助かります、と微笑んだ。
 柊木灯から独占取材権を与えられた私は、本人への取材と並行して、彼女の周辺の人間関係を洗うことにした。そこでまずは私を柊木に推薦した張本人だという大澤へ取材を打診した次第である。もちろん大澤は二つ返事で了承してくれた。
「ところで赤木さんはスーザン=ベネットという名前をご存じですか」
 静謐な風貌に見える大澤だが、意外と話したがりなのかもしれない。取材の時間は十分にある。私は彼の話題に乗ることにした。
「いえ、恥ずかしながら知りません。有名な方なのでしょうか」
「日本人にはあまり馴染みのない名前ですからね。スーザン=ベネットは初代《Siri》のボイスモデルだとされている女性です」
 Siriは主にiOSに実装されているAIアシスタントの名称だ。
 たしかSpeech Interpretation and Recognition Interface《=発話解析かつ認識のためのインターフェース》の略称だったはず。先ほどの大澤の説が正しければ、ユニとSiriの命名パターンはどこか近寄っているとも言える。
「なるほど。しかし、ボイスモデルだと〝されている〟という言い回しが気になりますね」
 私の質問が予測通りだったのか、大澤は僅かに心地よさげな表情を浮かべる。
「SiriはiPHONE4sから最新のモデルまで変わらず実装されている機能ですが、実はアップルはSiriのボイスモデルを公表していないのです。要するにアップルはスーザンがSiriであることを認めていないんですよ」
 実のところスーザン=ベネットの名前は事前の勉強で知っていた。彼女が元はミュージシャンであり、たまたま代役で収録したその声で銀行ATMの普及に貢献したことも知識として把握済みだ。当時は機械から預金を引き出すことに嫌悪感を覚える人間が大多数だった。そうしたレイトマジョリティとの間を取り持つ仲介の役目をスーザンの声は果たしたらしい。
 取材先に赴く前に最低限の下調べをするのはジャーナリストとしてのマナーである。私も可能な限りこのマナーに追従しようとしている。どれだけの同業者がこの規則を守っているか定かではないけれど。
 何にせよ、事実を乞う者はある程度無知である方が可愛げがあるものだ。その方が相手の口も多少緩くなる。
「かつてスーザンはこう言いました。『私の声優人生は、機械として始まりました』と。柊木灯さんも同じような来歴でした」
 彼女について調べた情報を記憶から遡る。
 柊木灯。二十九歳。声優。
 デビュー作は二十二歳の時にオーディションで受かった洋画の吹き替え役。過去のインタビューを参照すると、彼女は血の通ったキャラクターを演じるためにこの業界の門戸を叩いたのだという。純粋に役者としての道に憧れていた。しかし芸能の世界は厳しいものである。現時点でのテレビアニメのレギュラー作品の実績は一本のみ。その台詞もテキストで合計千字に満たない文量だったようだ。
 声優としての実績不足に悩む彼女の元には複数の成人向け作品への出演オファーが来たが、それら全てを蹴り、多重なアルバイトで生計を立てる日々を長く過ごした。
 そんな彼女の人生が変わったのは、今まさにパソコン越しに私と会話をしている大澤仁との出会いだった。
「私の声優人生は今ここから始まるのだと思います、と涙を浮かべながら挨拶をしてくれた柊木さんの顔が忘れられません。だからこそ今回の事件は未だに消化できていません。彼女が人を殺めるような人間だとはどうしても思えないのです」
 柊木灯の声の特質を見抜いた大澤の才能は確かなものなのだろう。柊木の大量のボイスサンプルを元に調律されたユニは、瞬く間に様々なサービスに展開されていった。特にグーグルアシスタントの正式な音声モデルとして採用されたのが大きな宣伝効果をもたらした。
「おそらくユニの仕事を引き受けたことで、柊木灯さんの仕事人生は大きく変わったかと思います。生活のためにアルバイトをする必要もすぐになくなったのだとか」
「よくご存じですね。先程お話ししたスーザン=ベネットですが、Siriが獲得した収益の還元は受けていないそうです。何せアップルはスーザンがSiriであったことを認めていませんから。同様に、コミュホライゾンも自社製品のボイスモデルをクレジットしていません。ユニのオリジナルが柊木灯さんであることも一切表には出していません。ただ、アップルと違って当社は柊木さんに正当な報酬をお支払いしているつもりです。それこそゆうに十年は遊んで暮らせるくらいの貯蓄がすでにあるはずです」
 大澤の言を信じるのであれば、彼女が文化的に不足のない充実した生活を送っていたことは疑いようのない事実だろう。とすれば今回の殺人未遂は少なくとも金銭目的の犯行ではなかったことになる。
 ここで一度事件のあらましを整理しておこう。
 二〇二二年十月三日。女性からの不可解な電話通報で救急車が台東区のマンションに駆けつけたとき、そこには意識を失った男女が二人横たわっていた。一人は中肉中背の男性。腹部に刃物による刺し跡が複数見られ、緊急を要することが即座に判断された。もう一人の女性はワンピースを血に濡らしているものの、傷一つない肌からそれが男性の返り血であることが推測された。
 その肢体の周辺には細かな錠剤が大量に零れており、彼女がオーバードーズを図ったことが救急隊員には即座に理解できたという。結果、病院に運ばれた彼女の検査結果から、致死量に近いカフェイン摂取があったことが診断された。短時間のうちに摂取する場合、一般的に5,000mgが致死量と言われているが、彼女の摂取量は3,500mgほどであったことが状況証拠から判明している。
 数時間におよぶ胃洗浄や活性炭と下剤の使用、呼吸循環管理等の治療の末、ようやく症状が落ち着いた彼女へ警察が話を聞いたところ、
「ユースケをころしたのはわたしです」という証言が返ってきた。事実、マンションのリビングに落ちていた包丁からは彼女の指紋が確かに検出された。
 しかし医師によるとそれは奇妙なことだった。一一九番を受けた隊員の証言によると、通報の電話は致死量のカフェインを摂取した直後にしてはあまりにも健康的な声だったのだという。溌溂とした少女の声だったとも話している。実際にその通話記録を聞いた医師は、とても自殺を選んだ人間の声ではない、と語った。しかし警察の調査の結果、不可解さの理由が判明することとなる。
 彼女――柊木灯はGoogle Duplexを使用して自動通報を行っていたのだ。
「Google Duplexは通常はレストランや美容室の予約を取るときに使用するサービスです。日本ではちょうど去年からサービスが開始していますが、こんな使い方をしたのは彼女が初めてでしょうね。正直、心地よい実績ではありません」
 Google Duplexはグーグルアシスタントのオプション的な位置づけにある自動通話サービスの名称である。そして他でもない、日本版においてはユニの機能が存分に活用されたサービスの一つでもあった。通常は大澤の言うとおり、レストランや美容室の予約を取る際に使用される機能で、店側との煩雑なやり取りをAIがユーザの代理で行ってくれることを売りとしている。Androidスマートフォンの一部に通報機能としてGoogle Duplexを標準搭載したモデルが発売されていると噂で聞いたことはあったが、まさか本人が犯した罪の通報に使用されるとは誰も予想だにしなかっただろう。
 どこから情報が漏れたのか、この奇妙な出来事はネットの一部を盛り上げた。こういうネタに敏感な同僚によると、『現代のメンヘラ女はAIを使って自首するらしい』という下らないネット記事が書かれ、数百程度の拡散がされたという。
 しかし誰もその通報の主がユニのオリジナルであるなど夢にも思わなかったことだろう。
「ユニの声が柊木灯さんであることを公表しようと考えたことはなかったのですか」
 柊木の事件から数日経つが、コミュホライゾンはプレスリリースを出していない。
「柊木さんとはユニのキャストを公表しない契約を交わしています。先ほども申し上げた通り、これまでユニに関係した仕事で柊木灯の名前がクレジットされたことはありません。ただし契約上は、互いの同意を持った場合に限っては公表することが可能ではあります」
「不躾な質問かもしれませんが、なぜコミュホライゾンはキャストを公表しない方針を採っているのでしょうか」
「ユニというAIにひとつの人格を与えるためです。赤木さんも聞いたことあるでしょう。中の人なんかいない、という文句を。ユニはあくまで”ユニ”であるというブランディングなんです。近頃だとバーチャルユーチューバーなんかも同じような方針ですよ」
 大澤の論理には納得できるものがあるように感じる。
 ユニは広義の「読み上げ用音声合成ソフト」に該当するが、流通している同種のソフトの中にはあえてキャストを公表しているものも少なくない。そこには声優自身の集客力を商品の魅力の一つにしようとするマーケティング的な魂胆がある。
 一方、柊木灯の声優としての知名度はお世辞にも高いとは言えなかった。
 しかし技術力で十分に勝負できるコミュホライゾンにとっては、ボイスモデルの知名度はむしろ低い方が好都合だったのかもしれない。
「赤木さんの言葉を借りるなら、謎めいていた方が魅力的、というわけです」
 声優の柊木はもとより、大澤もまたクリエイティブ職に属する人間だということが分かる。
 ユニの立ち上げにあたり、ボイスモデル候補の選出を任されていた大澤は、膨大な数の映像作品―特に洋画の吹き替え作品に的を絞って鑑賞を行った。そこで柊木の声優としてのデビュー作に出会い、その僅かなサンプルからユニへの適性を見抜いた。彼女の声の何が彼の感覚に嵌まったのか、創作に縁遠い私には想像もつかない。
 私は記者だ。出来事と、その事実関係をただ伝えることしかできない。
「今回、私は柊木さんへ行ったインタビューを元に記事を発表するつもりです。ついては、柊木灯がユニのオリジナルである事実を書かないわけにいきません。編集部がどう捉えるかは未知数ですが、おそらく大きな記事になるでしょう。先ほどお聞きした御社のポリシーを破ることになります」
 すると驚いた顔をして大澤は、
「その点は重々承知しています。何より弊社はすでに公表の打診を彼女に対して行っています。あとは彼女自身が首を縦に振るだけなんですよ。公表を差し止めているのは彼女の方なんです」
 ようやく事の成り行きの整合性が取れた。私と大澤の間には微妙に認識のずれがあったのだ。
 意図してなのか、それとも単なる伝達忘れか、柊木本人からは公表差し止めの話は聞いていない。そのせいで、てっきりコミュホライゾン側がイメージダウンを恐れ、情報の隠匿を図っているのではないかと私は踏んでいたのだ。実のところ、今回の大澤への取材はその真偽を判断するための取材でもあった。
 しかし、元を辿れば彼女に私を推薦したのは他でもない大澤だ。ユニの正体が事件と共に明るみになるのを避けたいならば、そもそもジャーナリストなど寄こしはしないはず。私のような実績の薄いフリーランスの人間なら猶更。
「いまやユニはグーグルアシスタントをはじめ、百を超える音声アシスタント系のアプリケーションに実装されています。有難いことに公共のガイドサービスにも広く採用頂いております。名実ともに日本で最も有名な〝日常の声〟になりつつあります。社会的な影響力は測り知れません」
 これは難解な命題である。
 たとえばユニの実績として、教育商材の音声ガイド役として採用された例がある。
 ひとつ、想像してみてほしい。
 あなたは小学生の娘を持つ親である。多忙なあなたの代わりにタブレットの学習アプリケーションが娘に算数の九九を教える。そのサービスには九九を音声で読み上げてくれる機能が実装されており、純朴な娘はタブレットから流れる声を頼りに九九を暗唱する。
 ”人をナイフでめった刺しにし、殺したことのある人間の声”で勉強をする。
 ――その事実を、娘を愛するあなたは良しとするだろうか。
 大澤の語る社会的な影響力とはそういう意味を孕んでいる。ユニには既に社会的かつ倫理的な責任が大きくのしかかっている。
 コミュホライゾンはユニで大きな飛躍を遂げたベンチャーだが、基盤の安定した企業とは未だ言えない。不祥事による痛手は極力避けたいはずだ。
 しかし彼の理性的な話しぶりからは、今回の件がどういう結末を迎えるにせよ――それこそ、ユニの運用を凍結することになるにせよ、甘んじて受け入れようとする姿勢が窺える。
「これは本人に直接訊くべきことかもしれませんが、柊木さんはどうして自身がユニであることを公表しようとしないのでしょうか。私に記事を書かせるなら、どのみち公表する気があるわけですよね」
「おそらく最初の一報は自身の言葉で―自身の物語で公表したいのだと思います。現在の彼女は実質的に自由な表現を制限されている立場にありますから。弁解の余地もなくネットの意見に蹂躙されてしまうことを避けたかったのでしょう。あとは……。きっとその第一報を赤木さんに書いて欲しかったんだと思います」
 前者の考えには賛同できる。しかし後者は要領を得ない。私という人間に特別な意味があるとは思えない。
「実は柊木さんに紹介した記者は他にも何人かいたのです。その中から柊木さんがあなたを選んだ。おそらく歳も近く、フリーランスという立場に共感したのかもしれませんね」
 ……なるほど。ならば大澤に対する最後の質問はこれだ。
「もし差し支えなければ、候補だった他の記者の方々のお名前をお聞きしても宜しいでしょうか」

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この続きは是非、本編でお楽しみください。

題名 : エンド・ロール
作者 : 新士悟
定価 : 500円(100頁 / 文庫本)
第三十一回文学フリマ東京(カー16)にて頒布予定
※後日、kindle版も発売予定

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