読書感想文(78)長谷敏司『あなたのための物語』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回読んだ本は知人のオススメです。
先日、吉本ばなな『キッチン』を読み終えた日に、「センチメンタルになってるところには重いけど」と言って本を貸してもらいました。

舞台は2048年。これはジョージ・オーウェル『1984年』の100年後として設定されているということが、作中で触れられていました(P139,156)。そこを読むまで、この中途半端な数字を違和感無く受け入れてしまっていたことが少しショックでした笑。もっと細部まで気がつくようになりたいです。
主人公は大学のそばのガレージで起業したそうですが、これは現代の多くの有名な企業と同じことには気づきました笑。

感想

ん~~~、ものすごい物語でした。
どう捉えればいいのか、頭が整理できていません。というより、そもそもインプットが上手くできていないかもしれません。主人公の思考の論理が難しく、正確に理解できていないような気がします。
ただ、生と死の実感を伴って訴えかけてくるような物語でした。全ての議論に死が付き纏うので、切実な問題として迫ってきました。
これもまた、読み直さなければならないなと思います。

「死ななきゃいけないことが不満なの。もうガマンするのはまっぴら。だからはっきり言われてもらうわ。不満だっていう需要ニーズがここにあるのよ、それを満足させるものを作ってなにが悪いの?」
(中略)
「十年後の人間は、死なずに済むのね。百年後に生まれていたら、こんな壁にはぶち当たらなくて済むのね。二百年後、三百年後の誰かは、わたしたちが死にたくないと心から願いながら死んだから、死なずに済むのね。技術はできてるわ。すぐそこにあるものを手にとるだけよ」

これは科学倫理の話です。人の命を救うものでも、倫理を犯してはならないという話です。探究心から禁止されているような実験をすることは現代でも起こっています。
今気づきましたが、これは後に第五章で自分自身に返ってくる言葉でもあるかもしれません。

「あなたのビジョンに対する責任感は、先駆者としてのプライドですか?」
「子どものころ夢見た《未来》のようでなかった、現在に対する復讐です。ですから、進歩した素晴らしい世界を子孫にわたしたくて、仕事をしているわけではありません。ただ、この復讐の連鎖が、世界を便利にしてきたのだとも、わたしは思っています」

これも主人公のスタンスとして意識しておきたいところです。
また、伴侶や子どもがいるケイトと仕事一筋の主人公が対比的に描かれる場面でもあります。これも考え方に影響を及ぼしていると思います(考え方が影響を及ぼしているとも言えますが)。

「ロードキャビンのなかった時代の人々は、今の人々より不幸せだったでしょうか?」
(中略)
「(中略)ただ、不満を壊してゆくより、積み重ねられてきた快適さやよろこびを受け継いで発展させるほうが、ポジティブにお仕事ができると思って」

これはケイトのセリフです。
詳しくはないのですが、進歩主義に疑問を投げかけていると捉えてもよいでしょうか。
現代、科学がどんどん発達して、専門家と一般人の知識の差が広がっています。それを上手く活用して経済的に豊かになる人もいれば、古い時代に取り残される人もいます。
そんな中で今一度、幸せとは何かを立ち止まって考える必要があると思います。
半成長主義や貨幣論についてもっと詳しければさらに色んな議論の余地があると思うのですが、私にはまだ及ばないところです。

話したいことがすべて信仰で片付けられてしまうから、谷底に小石を投げ込んでいる気分になる。

これは主人公が母に対して感じていることです。これはわかりやすい比喩です。宗教ではありませんが、私も子供の頃に似たようなことを思っていました。

〈生きていることを特別視しすぎではありませんか。すべてはデータなのだから、終わったら終わったでいいのではありませんか〉

ここは読んだ人しかわからないと思いますが、人間の脳が記述できるため、人間とは何かと問われている時代背景があります。
少しずらして現代について考えると、最近「自分の人生」というものが特別視され過ぎているように感じます。
どこにあったか忘れましたが、「人間なんてそんな大したものじゃないでしょう」という主人公の暴言も、私はなんとなく理解できる気がしてしまいます。
自分の人生はどこかで終わります。しかし、自分以外の世界は進んでいきます。この辺りの位置づけを整理してみて、色々と考えると面白いかもしれません。

〈(中略)ですが、恐怖と自己愛はその根が似通っているのではないでしょうか?両方に共通するのは自分自身への過剰な関心と絶対視です。(中略)どちらの場合も、自分自身のことだけに視野が狭まり、他人に攻撃的になり、自分のルールに忠実になります。恐怖に支配された人間と自己愛に縛られた人間は、出力アウトプットするものが似ています〉

これはなかなか面白いことを言っていると思いました。
また、工学部の知人と思考の型について話した時、「工学部の自分は物事を入力と出力のように捉えている」と言っており、これはプログラムされた人格である〈wanna be〉に似ていることに納得しました笑。
ちなみに文学部だった私は「その結果は受け手によって解釈が異なる」といった話をした覚えがあります。

「絶対必要なわけではないから、好かれなければ気に懸け手もらえない。みんな物語と同じよ。本当は必要ないから、自由でいられて、ときどき特別なものに見えるのよ」

少し前に、友人関係と利害関係について考えました。これらは切り離すことが難しくはありますが、一致させて考えることもまた難しいです。
絶対必要なわけではないけれど、いた方が利益がある場合、など少しずらして考えてみると面白いかもしれません。「好く」「好かれる」というのがどういうことなのかも考える余地があります。

 彼女を突き動かす動機は、いつも逃避だ。そして、この動機自体はむしろ古いものだ。だから、彼女が求める飛躍の正体は、つまり過去から流れてきた膨大かつ多層な"文化の慣性力"の、彼女を焦点にした現在位置にすぎない。未来ではなく、現在を構成している"文化の慣性力"のうちから古いとわかっている要素を拾い上げ、新しいと思いたいものと見比べることで、前へ進んでいるように錯覚しているだけだ。
 だから、技術や学問の進歩から変遷させる文化の中で、動機自体は革新しないのだ。

これもこの物語においてかなり重要な部分だと思います。過去の産物だと退けてきた母の信仰と繋がる場面であり、主人公がこれまでの自分の行動の動機を自覚する場面でもあります。
歴史を学ぶ重要性や、理系の人が人文学を学ぶ重要性もわかります。

〈"物語"の技術とは、「言語から解放される一瞬」を、どう作り出すかの方法論だと思うのです。この一瞬を求めて、過去の人々は、題材を漁り、表現を試し、道具立てを工夫し、筋立てに神経を払ったのではないでしょうか(中略)ことばの物語の読者は、"自分自身のことばから解放されるため"に、他人のことばの集積物を読むのだと思いました。人間は、みずからという情報集積体データベースを、ことばと意味で高度に構築しています。ですが、この状態そのものが、人間にとって不自然でストレスなのです。だから、"意味"の伝達媒体である"ことば"を使って、物語を記述し、読んだのではないでしょうか〉

あまり理解できていないのですが、これはメタ的にこの物語を読み解くのに重要な部分だと思います。
まだ整理できていないので引用に留めます。
次に読む時には意識しておきたい部分です。

〈《私》のことを忘れても、ひとつだけ覚えておいてほしいのです。《私》は、ずっと『何かお役に立てますか』とたずねてきました。これは、道具である自分がここにある意味を考えた結論です〉

物語全体の中で、この辺りが一番印象に残りました。道具の《彼》に芽生えた切実な想いが感じられます。
ちなみに「何かお役に立てますか」という言葉は、私の中で恋愛においても重要な言葉でした。しかしそのような恋愛の形は劣等感から来るものなのかもしれません。自分自身の存在意義を、誰かの役に立つという道具のような視点で考えていました。ただ、『図書館戦争別冊Ⅱ』の告白のシーンを思い出すと、単純に片付けられる問題でもないなぁと思います。やはり恋愛は奥が深いです。

この他にもいくつか書いておきたいことがあります。

まず人間を情報集積体データベースとして捉えることがありますが、後に重複するデータはこんなに要らないという話も出てきました。 データベース理論は少しだけ学んだことがあったので、すぐに理解できましたが、そうすると確かに人間を情報集積体として捉えるのは恐ろしいことではあるなと思いました。

また、「物語」を好悪の感情に反応する情報だと捉え、道具と違って決まった役割を与えられていない人間は動機をもり立てるために物語を利用する、と書かれています。これはなるほどなと思ったのですが、一方で近年人間以外にも決まった役割以外の意味を見出すこと、そういう発想を転換するような能力が求められているようにも感じます。次元が全く異なる話ですが、道具と人間の関係を位置づける時に、現代のこの背景は意識しておく必要があると思いました。

最後に、死は鏡であり、それを見続けていたらそれは自己愛である、そして自分しか信じないのも自己愛、自分で制御したいのも自己愛、という話がありました。
これはそれほど理解できていないのですが、何か大切なことような気がしています。
人生を考える時、死を抜きにして考えることはできません。
その時、この言葉を思い出したいです。

おわりに

今回も結構感想が長くなってしまいました。
ものすごく重たい内容でした。体感ではE・ブロンテ『嵐が丘』くらいでしょうか笑。
でも、この作品もまた読み返したいと思います。

というわけで、最後まで読んくださった方、ありがとうございました。

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