読書感想文(102)木皿泉『さざなみのよる』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回読んだ本は、ちょうど約1年前にnoteで色んな人がオススメしていたので知りました。
そしてやっと手に取った、という感じです。
今読もうと思った理由は大して無く、最近少し読書量が少ないからリハビリがてら短い作品を、ということで選びました。

感想

この作品の全体的な感想としては、一人の人間が死ぬ時、思っていた以上に色んな人が色んなことを思うんだなぁということです。
最近、「自分自身の人生をいかに生きるか」という話をよく聞いていたのですが、改めて人生って自分だけのものではないよなぁと思いました。

自分が死んだら、周りの人はどんなことを思うのでしょうか。考えたことがあるようで、あまり考えたことがありませんでした。
そういえば以前、「あなたは明日死にます。一人にだけ遺書を書いてもよいです。」という設定で遺書を書くワークをしたことがあります(これ、本気でやると結構色々と考えるので是非やってみてほしいです)。
私はまず誰に宛てて書くかに悩みました。ここで、自分は多分周りの人をあまり大切にできていないのだろうな、と思いました。特定の一人を選ぶとすれば、概念としては伴侶一択なのですが、残念ながらまだいません。というより、今の自分にとっての恋愛は特定の一人に選びたいと思える伴侶を探す旅のようなものかもしれません。
それはともかく、強いて一人選ぶならこの人かな、と思って選びました。しかし、次にその人に手紙を書こうとした所でまた困りました。多分、その人は私が死んでしまったら結構悲しんでくれるだろうなと思います。それだったら遺書なんか残さずにふらっといなくなった方がいいんじゃないか、と。最期のワガママだから言いたいこと全部言っても許されるんじゃないか?とも思いましたが、生死に関わらずエゴはエゴです。最期に一番大切な人に迷惑をかけて死ぬのはいかがなものか。そんな事を考えました。
この時、実は結構メンタルがもうボロボロでした。自分が人間関係を深く持たないようにしている自覚はあり、どうしてそうなってしまうのかを考えると、幼稚園児の頃から既に他人と関わることに対する恐れがはっきりとあったのを思い出しました。とはいえ自分が死んだら悲しんでくれる人はいて、なのに何故か満たされないような気持ちになり、惨めな気持ちになりました。

さて、自分語りはここまでにして、作品の内容に触れていきます。

お姉ちゃん、死ぬときは、負けも勝ちも、もうどうでもよくなるんだよ。知ってた?

これは死を目前にしたナスミの思考です。ここからは、後悔のようなものがない、安らかな気持ちが感じられます。先程の私はこれまで人を大切にして来なかった自分が恥ずかしかったので、かなり違います。あ、今の自分にぴったりな例えを思いつきました。ディケンズ『クリスマス・キャロル』のおじいさんです。私の葬式に来てくれる人は多分いるけど、気持ち的にはそんな感じです。
話が逸れましたが、死ぬ時に後悔したくないというか、んー、周りの人が、私が生きていて良かったと思ってくれたら嬉しいかなと思います。

自分のために何かしたことなんて、ここ何年、一度もない。自分のために使ったことなんて一度もない。あったとしても、もったいなくて使えない。それなのに、いつだって自分だけが空回りしているような、この感じはなんだろう。

これはナスミの妹・月美の思考です。
色々と思うところはありますが、一番思ったのはこういう人をきちんと見つけられる人になりたい、ということです。
私自身、他人の為に何かをするのは結構好きなのですが、無理のない範囲でやるようにしています。しかし世の中には無理をしてしまう人もいて、そういう人を少しでも見つけられる人になりたいなと思います。

第9話では、「この時の自分に戻りたい」という話が出てきます。
これは私も中学生の頃からあった考えで、自分にとってのセーブポイントは小学四年生の頃でした。何かあったらこの頃の自分に戻ればいい。そう思うことで、新しい事もそれほど恐れずにチャレンジしてこれたように思います。
しかしこの本では、ナスミがさらに面白い考えを教えてくれました。

「今はね、私がもどれる場所でありたいの。誰かが、私にもどりたいって思ってくれるような、そんな人になりたいの」

いいな、と思いました。
私もそのような人になりたいです。
このセリフを読んで、そうか、セーブポイントは別に自分だけの為にあるわけではないんだな、と気づきました。
「もどりたいと思う人」というのは、物理的にも精神的にも言えると思います。
何かあった時に「会いたいな」と思うとか、「あの人と同じようにやってみればいいのかな」とか、そんな風に思われる人になりたいです。
具体的に考えると、将来は特に子供がそんな風に思ってくれたら嬉しいです。
今気づきましたが、発達心理学の「安心感の輪」というのは、これの事なのかもしれません。私は自分の過去を振り返ると、自分自身でこの輪を完結させていましたが、他人にとっての安全基地になれたらいいなと思います。

また、無常観も少し改めることとなりました。無常観というと、例えば『方丈記』や『徒然草』が有名ですが、どちらも人の無力感が伝わってくるように感じます。
しかしこの本を読むと、人も物も移りゆくけれど、それは後の時代に確かに繋がっていくということを強く感じます。
ナスミの家族やその子孫もそうです。
また作者は「あとがき」で端的に「人間は死んだら終わりじゃないと言いたい。」と書いています。全くその通りだなと思いました。最近、そのような事をよく考えます。岡潔『数学する人生』や新井素子『チグリスとユーフラテス』でも思いました。大我の中で小我の人生をいかに生きるか。そんなようなことを考えています。

おわりに

死を扱った小説は色々と考えてしまいます。今考えた事も死んだら無くなってしまうけれど、こうやってnoteに書いておけばまた何かに繋がっていくのだろうなと思います。

最近あまり本が読めていないのですが、気長に自分のペースで読んでいこうと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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