読書感想文(293)筒井康隆『旅のラゴス』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々にこの本を読み返しました。
結構前に読んだつもりでしたが、前に初めて読んだのは去年の二月で、感想文も残っていました。

感想

面白い、というのは少しズレる気がするのですが、読後の満足感はかなり高いです。
私は恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』などを読むと、長い年月をかけてゆっくりとこの作品を解釈していこうと思うのですが、この『旅のラゴス』もそう思わされるような読書体験です。
最近は濫読重視なのですが、その中で次の年に再読するというのは、そういうことなのだと思います。

さて、前回の感想文を読んでみると展開に面白さを感じていますが、今回はある程度結末を覚えていたので、そういった面白さは感じませんでした。むしろ未来を知っている俯瞰的な視点でラゴスの人生を見ているようで、これはまた不思議な感覚でした。もしかすると、老境に入ってから自分の過去を振り返るのはこういう感じなのかもしれません。

それにしてもかの星における歴史は長く、複雑でもあった。いつ読み終えるかしれぬそれらの歴史をおれは散歩する暇さえ惜しんで読み続けた。といっても、焦躁とは無縁だった。かくも厖大な歴史の時間に比べればおれの一生の時間など焦ろうが怠けようがどうせ微微たるものに過ぎないことが、おれにはわかってきたからである。人間はただその一生のうち、自分に最も適していて最もやりたいと思うことに可能な限りの時間を充てさえすればそれでいい筈だ。

P133

「焦躁」の感情は最近の自分に結構強くあるように思います。現代人の多くもそうかもしれません。
読書でさえ、娯楽であると思う一方で沢山読まなければという焦燥感も確かにあります。
けれども、「最も適していて最もやりたいと思うこと」でもあると思うので、気楽に続けていきたいとは思います。
既に役に立ったことも沢山ありますし、これからもきっと沢山あるだろうとも思います。

ある日、庭に出てみた。考えごとをするためだった。もしかすると帰郷して以来、ひとりで庭に出るのははじめてであったかもしれない。前からわが家の庭はほとんど森林の様相を呈するほど多くの木が植えられていたのであり、それらの木は今でもあった。幼い頃兄とよく一緒に登って遊んだタルカン樹の巨木も枝を拡げていた。すべてが懐かしかった。このようなものを懐かしむ余裕さえなくしていたのだ、と、わたしは思った。

P226

こちらも心の余裕についての話です。
私は大学を卒業してから国内旅行をよくするようになりましたが、最近は「懐かしさ」を求めて遠くへ行きたい意欲があります。これは恐らく岡潔の影響と、以前日展で尾道を描いた絵を観た時に数年前の尾道旅行を思い出したこと、それから先日島根に行った時に懐かしさを感じたことなどが原因だと思います。
四国、九州南部、東北などはまだ行ったことがないので、行ってみたいと思っています。

常識で考えて、またわたしの老齢から推測して生きて帰れそうにない旅だ。旅立つまでにしておかねばならぬことはいくつかあった。それはむしろ、旅立ちを考えはじめたが故に明確に見えてきた自己の役割や使命であった。また逆に言えばそれ故にこそわたしは旅立ち、この都市国家に別れを告げねばならなかったのだろう。

P238,239

これは最近巷でよく聞く「死から逆算して考える」というものに近いかもしれません。けれども、それと少し違うようにも感じます。なぜかを考えてみると、残り時間が少ないからでしょうか。
クランボルツの計画的偶発性理論のよると、人生の道筋は偶然によって大きく左右されます。だから、若い時にいくら死から逆算した所で、偶然によって大きく道が変わる可能性はありますし、逆に変えないと決めてしまうのはかえって可能性を狭めてしまうことになります。一方でラゴスの場合は、まさに最後の選択です。勿論、この後木こりと出会う時にも選択肢はありますが、それはラゴスにとって旅を始めた時に既に終わった選択でした。
こういう最後の選択によって、自分の使命を理解する、というのは、私にはまだ早過ぎると思います。けれどもいつかわかる時が来るような人生だといいなぁ、とも思います。孔子が五十にして知った天命は、このラゴスのいう使命のことかもしれません。

それにわたしは、そもそもひとっ処にとどまっていられる人間ではなかった。だから旅を続けた。それ故にこそいろんな経験を重ねた。旅の目的はなんであってもよかったのかもしれない。たとえ死であってもだ。人生と同じようにね

P249

人生が死に向かうという話も色々考えたくなるところですが、好奇心のままに動いて色んな経験を重ねている自分としては、「旅の目的はなんであってもよかったのかもしれない」という所が引っかかりました。
昔、将来の目的地が見えず、「迷走しながら爆走」を標語にして夢中で色んなことをやっていました。結果としては当時の思惑通りそれで良かったなぁと今思えていますが、これはある意味「旅の目的はなんでもいい」ということを示しているのかもしれません。
今だって、半分くらいは何の為に生きているのかわからないなりに、懸命に生きています。
幸い私はまだ若いので、体力がありますし、これから待ち受けているであろう苦難も乗り越えられるはずです。
目的に囚われ過ぎず、やりたいと思うことをやりながら生きていきたいです。

おわりに

思っていたより長くなってしまいました。
今回約一年ぶりに再読して、改めて良い本だなと思いました。
またいつか読み返すと思います。
その時はどんな感想を持つのか、楽しみです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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