読書感想文(165)宇山佳佑『桜のような僕の恋人』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は割と有名な小説です。
この本は4月にある人にオススメしてもらって買ったものの、積ん読になっていました。今回読んだきっかけは、先日noteでこの本を見かけたことです。 尚、今回はネタバレに繋がり得る内容も含むと思いますので、ご注意下さい。

感想

とても良かったです。
タイトル、そして冒頭から既に結末が予想されるのですが、それでも感動してしまうのは何故なのでしょうか。
結末が予想される一方で、序盤がコミカルな調子で進んでいくのが印象的でした。

読み始めて最初に良いなと思ったのは目次でした。恐らくこれまで読んだ小説の中で最速かもしれません笑。
表紙を含めたら他にもあるかもしれませんが……。
目次と各章題のページにうっすらと絵が描かれていてお洒落だなと思いました。

この小説を読んでいて一番強く感じたのは、運命の残酷さです。
最近中島敦『山月記』を読みました。
『山月記』の最も好きなシーンは李徴が妻子のことを袁傪に頼んだ後、妻子よりも自分のことを優先していることに気づく所です。その直後に袁傪を気遣うところからも、李徴が既に欠如していた(と感じていた)温かな人間性を持つことができたにも関わらず、時既に遅し、虎になった李徴はもう人間には戻れないという悲劇に胸が深く刺されたように痛みました。同時に、現実の我々は虎になることは無いのだから、いつでも後悔した時にやり直せるのだと、自らを奮い立たせました。
しかし、早老症というものは現実にあり、そしてこれは現実において「虎になる」ことそのものだと気づきました。
李徴の心を推し量って自らを奮い立たせるのではなく、今ある幸運に感謝をしなければならないのだと思いました。
このことに気づいた時、私は自分が情けなくなりました。というのも、私はほんの数ヶ月前に早老症を扱った作品、石田衣良『4TEEN』を読んでいたからです。
早老症というもの、或いは他の病気もですが、それが現実にあるのだと知っていながら、そのことをまるで意識せずに、今健康でいられること、そしてそれが続いていくことを当たり前のように考えていました。
そういった現実を知りながらそれを他人事とし、自分はそうではないのだと無意識に安心の上にあぐらをかいていたのかもしれません。
しかしこの本の美咲のように、それは突然やってくることもあります。
今当たり前のように生きられていることに、深く感謝しました。

最後に一つ、この本を読んでふと思い浮かんだ和歌を引用しておきます。

春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり

『古今和歌集』巻二春歌下九七番

意味は「毎年春になると花は満開に咲くけれども、それを見ることができるのは自分の命が続いているからなのだなぁ」といったところです。
いくら毎年あることでも、生きていなければそれに巡り会えない。
この作品とは少しずれているところもありますが、このような考えにも繋がり得るのかなと思います。

おわりに

先が気になって一気に読み終わりました。
この本は今月7冊目なので、あと3冊頑張って読みたいです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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