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【滋賀県】石塔寺阿育王塔


石塔寺

場所:滋賀県蒲生郡蒲生町
時代:推定7世紀後半頃(飛鳥時代)
石塔寺(いしどうじ)の石塔、阿育王塔(あしょかおうとう)は、日本に現存する最古・最大の三重石塔とされており、明治40年には国の重要文化財に指定され調査されてきたが、他に類をみない古代朝鮮の石塔との著しい類似点など、今もって謎の部分が多い存在である。石材も、軟らかく加工のしやすさから古代に石材として多く用いられていた凝灰岩ではなく、固い花崗岩でできている。そうした加工技術も朝鮮から伝わった当時の先端技術であろうと思う。

石塔寺三重石塔

2023年4月27日、京都市内からレンタルバイクで2時間ちょっとかけて現地に到着した。ほかに参拝客はおらず、参道の石段を登って石塔へたどり着いても、誰もいない。おびただしい数の小さな石仏に囲まれて、高さ7.5mの石塔はその存在感を示していた。近寄って石塔をよく見ようとしても、残念ながら小さな石仏に阻まれて近づけない。なお石塔の頂部にある相輪部分は、明らかに様式が異なり後代の作とわかる。日本書紀によると、7世紀(天智天皇の時代)にこの地に多くの百済からの渡来人を住まわせたという記述があり、この頃に製作されたのではないかと考えられている。現在、石塔は丘陵の上に建っているが元々は平地に建てられていたものと思われ、長い年月の間に土中に埋もれていたものを、1006年に当時の天皇の勅命によって探索、発見されたという文献が残っている。
今年の2月始めには韓国・慶州を訪れたのだが、当地の石塔と比較してなるほど似ていると思った。慶州は古代朝鮮の新羅王国の首都であり、専門家からみれば百済とは建造物の様式が違うようだが、素人目でみると石塔寺の石塔はやはり古代朝鮮の様式を汲んでいるように思える。ついでに、以前訪れた対馬(鴨居瀬の住吉神社)や鹿児島(大隅国分寺跡)にあった石塔も朝鮮に近いだけあって、その影響を受けているのではないかと思った。

場所:滋賀県東部

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