見出し画像

#4_スイスの若手建築家の表現について

最近、時の流れが早く感じる。
みんな何かに追われていて、焦っている気がする。


それは建築にもいえる。
建築は資本としての側面と、空間としての側面がある。
近年、特に都心では資本性が暴走しており、いかに効率よく、お金を稼げる建物を建てるか。という事ばかりが重要視されている気がする。

WEYELL ZIPSE (スイスの若手建築家のドローイング)

スイス・ヴィジョンという展覧会に訪れた。

近年のスイスでは、色彩豊かな図面やコラージュ、精密で具象的な模型など、従来とは一線を画し、力強く新鮮さのある建築表現が生まれいる。

彼らの建築の表現が従来と違うのは、
建築と家具を同じ扱いにして図面を描いたり、1/10の模型を作成し、家具や暮らしの風景をより鮮明に表現していたりと、

モノとしての「建築」というよりは
質の高い「暮らし」や「生活」を重要視している。
専門性やこだわりを見せるのではなく、より使う人にフォーカスした表現のように感じた。


最近、大阪万博も批判の意見をよく見るが、批判側はお金の話をし、建築家はその時の体験の重要性を大切にしており、そこのコミュニケーションがうまく取れてない気がする。

建築を建てることとは、何も無い状態で未来を思い描いて、納得させ、それを実現する事である。

世の中の人と建築家のコミュニケーションツールは建築家の思い描く表現であり、それが1番の説得力をもつ。

万博をはじめ、スイスの若手建築家がチャレンジしているように、皆が分かりやすく、そして感動する、ワクワクするそういうドローイングがもっと世に広まると少しは建築に対する価値が変わる気がする。

時代の流れがどんどん早くなっていく中、もう少しゆっくりとした丁寧な暮らしが提供できる建築家になりたいし、そういう魅力的な表現ができて、世の中に求められていくようになるといいなぁと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?