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お願い

 noteの更新のために色々考えていると、己の何もできなさに気分が落ち込む。
 という文章を書いて下書きにしまって、二週間に一回開いては閉じを繰り返して半年以上経つ。なんとなく「私はこれができます!これを達成しました!」という話を書いていきたいのだが、如何せん成長の兆しがない人間なので書けることがない。
 夏目漱石の「こゝろ」の登場人物、私(先生)の名言として『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』が上げられるたびに、私は「『しかし君、恋は罪悪ですよ』の方が真では?」と主張してきたが考えを改めようと思う。精神的に向上心のないものは馬鹿だ。

 精神的にではないが、できるようになったことがある。とても小さく、あまりにもピンポイントなことなので「なんだそんなこと」と思うと思うが聞いてほしい。有澤おから、人にお願いできるようになりました。

 例えば、刺さっているコンセントを抜くとか、セルフサービスの水をいれるとか、砂糖を取ってくるとか、私は自分でやるタイプだ。席が遠くても自分でやりに行って、ついでに人に必要か聞くことはあっても人にお願いすることはあまりなかった。しかし「もうちょっと人にお願いしてもいいんじゃない?」と言われたことがあり、友達に「そこのコンセント抜いてくれん?」とお願いしてみたら普通にOKされたのである。そりゃあそうだ。私が言われる側だとしてもなんの疑問も抱かないし、なんなら「言ってくれたらやるのに」とすら思う。
 調子に乗った私は「お水私もほしい」「お砂糖一本ください」「ごめんちょっとこれ持ってくれん?」「じゅ、充電器借りてもいいですか!」とお願いしてみた。みんな普通にやってくれる。優しい。嬉しい。

 よく考えてみれば、実家で「◯◯して」と言うことがあまりなかったように思う。家族がお茶を入れている時に「あんたも飲む?」と聞かれることはあるし、コップを持っていって自分で入れることもある。しかし、お茶を入れている人に対して「私もほしい(から入れて)」と言う発想がない。親も家事手伝いや片付け以外で「◯◯して」ということはあまりなかった。これが親の教育だったのか、なんとなくそうなったのかはわからないが、まぁ悪いことではないだろう。

 こうして私は小さな「お願い」ができるようになったわけだが、このお願いをするたびにものすごく人に甘えて、甘やかされている気持ちになる。だから実は、とても仲のいい友達にしかしていない。他の人にお願いしてもいいんだろうか。みなさん、私を甘やかしてください。


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