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「幸せとは?」

幸せについては、みんなが考える。
だから、いまさら陳腐だろうなと思いつつ、

57歳。今実感する「幸せ」について書いてみたいと思う。

以前、幸せについて触れた記事はこちら。

「幸せ」

幸せという万人に当てはまるような現象はないと思っている。


「青い鳥」のメーテルリンクがいうように。

「山のあなた」の詩でカール・ヘルマン・ブッセが言ってるように。


山のあなたを翻訳した上田敏は、この作品ともう一篇(ヴェルレーヌの「落葉」)のみで名が知られている。

たった二篇とはいえ、その日本語の調べはとても美しい。

心に残る心地良い調べが、この詩の持つ本質の素晴らしさと相まって、愛され続けてきたのでだろう。

山のあなたの 空遠く
「幸(さいわい)」住むと 人のいふ
噫(ああ)われ人と 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く
「幸」住むと 人のいふ

幸せを求めてみんなが言うから山の向こうに探しに行ったけれども見つからない。


そう。

見つかるはずはない。


だって、存在しないのだから。


絶対的な幸せなど存在しない。



私はワンルームでも今、『幸せだなあ』と毎日、幸せを噛み締めて生きている。


豪邸に住んでなくても幸せだ。

豪邸で幸せに暮らす人もいれば、

豪邸でも幸せを感じられずにいる人もいる。


絶対的な幸せが、どこかにあるわけではないから。


探しに出かけたとて、見つからない。


でも、今この瞬間から幸せになることは実は誰にでもできる。

感謝の気持ちがあれば。


あたりまえのことはあたりまえではない、と言われる。
実はどれだけ幸せなことか、と。


まさにその通りだと思う。


青空を見上げて一点の曇りもなく幸せだなあ、と思えること。

これ以上の幸せは無いと思って生活している。


【青空を見上げて心から幸せだなあと思えること】


これが今、私の中の“極上の幸せ”の定義となっている。


母が亡くなった時、後悔することや心残りがいくつもあって、空を見上げても憂う気持ちが暫く拭えなかった。

嫌いな人と我慢して我慢して生活していた時も。


どうやって乗り切ったのだろうと振り返ってみた。

私はいつもにこにこしていたので、側からは幸せと思われていたと思うし、よくそう言われた。

いや、本当に幸せでもあったのだ。


まず、子どもたちがいてくれること。

日々の小さな感謝。

そこに目を向けることで、偽りの自分の悲しい部分を乗り切っていたように思う。


今は、晴れ渡る澄み切った青空を見て、

『ああ、綺麗だなあ』

『幸せだなあ』

と、心から思える。

これ以上の幸せも恵みも存在しないと思っている。


自分の足で歩けて、質素だけど美味しいとご飯が食べられて、母は肺がんだったから最後呼吸が苦しそうだったけど、私はちゃんと息ができるし。


そう思ったら、もう感謝しかありません。


あたりまえのことはあたりまえではない。


そう思ったその瞬間からもう幸せ♡



今日も素敵な一日♪

皆さまと共に無事に過ごせますことに感謝します。

いつもありがとうございます♡


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