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もっとマシな人間に、

自分の年齢について考えるといつも、「もう少しマシな人間になるはずだった」「もう少し、大人になれているはずだった」とガッカリする。そろそろ気づいたほうが良いのかもしれない。わたしたちは年齢を重ねただけでは大人になれないし、思い描く理想の自分には近づけない。ただ、数字としての年齢が増えて、過去が増えて、後悔が増えるだけで、1年も2年も、5年も10年もそれほど変わらないのかもしれない。もちろん環境とか付き合う人とか、ハマっている事柄とかに変化はあるのだけれど、わたしを動かしている根っこの部分は、きっとこの先も変わらないのだろう。


相変わらず学生の頃と同じような失敗を繰り返しているし、後悔の味もぜんぶ似たようなものだ。「あ、この喪失感、経験したことある」と感じる度に、実はわたしだけあの頃に取り残されていて、数年間何も変わっていないんじゃないかと嫌になる。わたしを狂わせる大好きな酒との付き合い方はいまだにわからない。浴びるほど飲んだ翌朝、そんなはずはないと押してみるけど、青あざはちゃんと痛む。覚えのない青あざを、押して確かめるまで認めたくないのだ。わたしは何に抗っているのか。

気がつくと彼女のいる男性と関係を持っている。「こういうものは自然に起こることだと思っている」とあなたは云うけれど、わたしは己の動物的な衝動をまったく肯定できない。このまま自然に流されて、猿と自分の区別がつかなくなるなんて御免だよ。あなたと寝るのは、べつに好きだからじゃなくて、女性としての自分の価値を確かめたいから。それだけなの。と、必死にわたしのような誰かを説得している。今更それに抗ったって意味がないことはわたしが一番知っている。




これ、2023年夏前の下書きなのだけれど、どの男を指しているのかさっぱりわからない。静かに流れてゆく日々を切り取った映画に出てくる「どうしようもないけど憎めない登場人物」と「わたし」の区別が、どんどんつかなくなっている気がしている。


またね。

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