あ子

おてやわらかに。(25)

あ子

おてやわらかに。(25)

最近の記事

自己実現?なにそれ、

平日昼間のマクドナルド、なぜこんなに人でごった返しているのか不思議におもう。みんな学校は?仕事は?、眉をひそめてしまうほと天気が良くて過ごしやすい3月某日、春といえばのてりたまを喰らう人々を横目に、春以降の「生活」について考える。 変わらずともだちはいない、仕事はそこそこ、母とは仲が良くて父とは微妙な距離感を保っている。じぶんの未来について考えたってきっと大して変わらないが、考えることを放棄したくはないとはおもう。手に入れたいものがない。「揺るがない、確固たるしあわせ」なん

    • ブスって言われた、可愛いのに、

      どうしようもない日って、ある。何かをしようとすると必ずうまくいかないし、何かをしようとしなくとも、ずっと薄く失敗しているような、そんな日がある。「きょう」という日はまさに、わたしにとってのソレだった。 朝から嫌なものをみてしまった。完全なる飛び火で、顔も合わせたことがない知らない人(念の為書いておく、ソイツはおばさん)に「ブス」と書かれていることに気付いてしまう。夢かと思った。ネットで他人の悪口をいうときに、誰のことを指しているかわかる程度にぼかした主語のあとに、よく「ブス

      • 狂った夏に、

        男は、「夏が終わるね」と言った。からだをぴたっと密着したまま、指先で背中を撫でながら。 冷蔵庫から出したばかりのウーロン茶はひどく冷えていて、運動した後の火照った身体に沁みるどころか、わたしたちを必要以上に現実世界に連れ戻そうとしていた。うるせぇ、まだ早いわ、わからず屋。 人肌が恋しくなるのは冬だけれど、わたしが狂うのはいつも夏だった。年を重ねてしまう夏、焦燥感と闘い続ける夏。夏が終わる、ということは、日常に戻るということ。狂った生活をやめて、真っ当に生きようと努めること

        • 足らない部分、

          信用できないひと、大江戸線のホームに向かう下りのエスカレーターで、手すりを掴まずに後ろを振り返って話しているひと。 心配なひと、歩きスマホをしているおばあちゃん。 嫌いなひと、歩きスマホをしているおばさん。 嫌いな場所、混んでいる朝食ビュッフェ会場。 苦しい時間、話し手よりも先に言いたいことがわかってしまった後、その話の続きを聞き続けなければならないとき。 わたしをよく知る友人には「そんなことよりも好きなことについて考えたら良いのに」と言われる。わたしも出来ることな

        自己実現?なにそれ、

          もっとマシな人間に、

          自分の年齢について考えるといつも、「もう少しマシな人間になるはずだった」「もう少し、大人になれているはずだった」とガッカリする。そろそろ気づいたほうが良いのかもしれない。わたしたちは年齢を重ねただけでは大人になれないし、思い描く理想の自分には近づけない。ただ、数字としての年齢が増えて、過去が増えて、後悔が増えるだけで、1年も2年も、5年も10年もそれほど変わらないのかもしれない。もちろん環境とか付き合う人とか、ハマっている事柄とかに変化はあるのだけれど、わたしを動かしている根

          もっとマシな人間に、