常にぶち当たる悩み「子どもについて」

子どもを産みたくないと宣言して結婚したが気持ちは日々移ろいでいく。20240304 

  • 子どもが欲しいってエゴじゃない?

そもそも「子どもが欲しい」って言葉も違和感がある。
子どもって自分がこの世に生まれたいと思って生まれるのではなく、異性間で好き勝手やった結果できる産物。
子ども自身が望んで生まれてくるわけではないのに、育児の責任は親である私達夫婦にあるから責任重大だと思ってしまう。

  • 「もしも」を考えたらキリがない

もし出生前診断でなにか異常があったら
もし産後うつになったら
もし育児ができないと思ったら
もしパートナーが子どもに興味がなくなったら
・・・考えだしたら止まらない。今挙げたのは生まれた直後考えられることだけど、成長するにつれてさらに悩みが増えていくと思う。リスクがあることにぴょーんと飛び込む勇気はまだない。

  • この苦しい世の中に生命をもたらしていいのか

私自身、家族関係で苦しい思いをしたし、思春期のころは「なんで私は生まれたんだろう」とか思っちゃってた。最近は、そういった呪縛から解放されつつあると思っている(考えないように逃げている)が、もし自分が子どもを産んだらそういった苦しみを体験させてしまうと思うと、暗くて嫌な気持ちになる。

  • 子どもNO宣言(今までは)

そういった考えから出産はしないと考えていて、誰かと付き合うときには「子どもは今のところいらない」と話をしていた。今の旦那はバツイチで離婚の原因のひとつに「子どもに対する温度感」があったと聞いた。女性側が子どもがすごく欲しくて色々と積極的だったのに対して、男性(旦那)側が「できたらいいんじゃない?焦らなくても良くない?よく考えたら子ども欲しいのかな?」のスタンスで心の距離が離れていったとのこと。
例えば男性に「子どもは2人欲しいな~」とか安易に言われると(出産するのは私だしその後仕事どうなるのかわからないしそもそもひとりの稼ぎで今どき生活厳しくない、何も考えて無くない???とか思って)イラっとしてきたから、旦那の地に足がついているようなところに好意を持った。

  • 子どもに会ってみたいとふわーっと思う(今の気持ち)

結婚して2年が経ち、楽しいこともイライラすることもたくさんあるけれど、総じて日々充実している。
今までの人生において家族関係や友人関係は希薄なタイプで、人間関係を損得勘定で考えがちだった。全力でgiveしても必ずしもtakeされるわけではないと思うと心の底から怖くてなかなか素直になれなかった。家族関係に少し歪みがあったからか他者との距離感がいまいち分からない。
けど、今の旦那とは本音で向き合えていて心地が良い関係性だ。その状態で穏やかな時間を一緒に過ごしたからか母性(?)が目覚め始めた。
好きな人と自分の間にはどんな子どもが生まれるんだろう?と漠然とした気持ちが湧いてきた。

  • 最近読んだ本が心に刺さった「川上未映子(著)夏物語」

あらすじを一言で表すと懸命に生きる主人公が子どもを産みたいと葛藤し産むことを決断する話。
結構ボリュームのある本で、こんな簡単に感想を言い表せない。もともと川上未映子さんの本が好きだから手に取ってみたけど、今私が苦しんでいる悩みと似ていて、感情がシンクロして涙が溢れた。
作家で独身の主人公が「子どもに会いたい」とふと願うことから人工授精を考え、その当事者たちと触れ合うにつれ、生まれた側の苦しみを知り葛藤するが、最後「子どもを産むことは間違いかもしれないけど、私は間違いでもいい(うろ覚え)」と子どもを産む決断をしたところが痺れた。子どもを産むこと、育てることはハードルが高いのは承知の上で、でもその高い壁を乗り越えるほどの「子どもに会いたい」と思える気持ちが羨ましく思った。

  • 今の考えを旦那に話してみた

「子どもはいらないと思っていたけど、好きだからこそ二人の間から生まれる子どもに興味を持ってきた」と伝えたら「考えてみる」と言われた。よく話を聞いたところ、「子どもはいらない」という結論は二人とも同じだったけど、私は反出生主義っぽい考え方であったのに対して、旦那は「世話できなさそう、今が楽しいからこれでいい」といった考え方でプロセスが少し違った。
私はすぐに子どもを産みたいわけではないし、子どもを産んだ後のこととか正直何も考えられていないけど、「子どもに対して考え方がちょっと変わったよ」っていうことを旦那に共有して反応を見たかっただけなのかもしれない。
人生何が起こるか分からないなあ。

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