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改憲阻止の社会党/政治家の出世

また憲法記念日がやってきます。
日本国憲法が長い間まったく改正されなかった最大の原因社会党

社会党が(共産党とあわせて)衆議院・参議院で1/3以上の議席を持っていました。
憲法改正には衆議院・参議院両方の2/3以上の賛成がなければ絶対に通らない。

政権は取れなくても憲法改正は阻止できる

社会党の末期まっきは「野党第1党だけど改憲阻止だけが成果」で存在していたような感じでした。

護憲派にとって護憲だけが成果という感じ。
改憲派にとっては護憲だけで邪魔という感じ。

しかし社会党に最後の輝きがやってきます。

社会党のトップが総理大臣になったのです。

村山富市政権です。

1994年社会党はなんと自民党連立政権を組みました。

自民党側から社会党の村山富市を擁立したのが亀井静香氏です。

自民党に「宿敵だった社会党から総理を出そう」と言った大物政治家がいたのです。

亀井静香さんが書いた本がけっこうおもしろかったです。
永田町動物園 日本をダメにした101人」という本。

いろいろおもしろい話が書いてあるのですが、今回は「政治家は変わり身が早くないと出世できない」ことを取り上げたいと思います。


・平沢勝栄vs公明党(創価学会)​→大臣になるまでクソ時間がかかる

自民党の衆議院議員に平沢勝栄さんがいます。​


1996年衆議院選挙に出て東京17区から出馬して初当選。

この時に平沢勝栄氏が戦ったの相手は・・・新進党の山口那津男氏です。

新進党はもうとっくになくなった政党。
当時の野党第1党でした。(今で言えば立憲民主党みたいな感じ)

山口那津男って聞いたことありますか?
そう、公明党の山口代表です。

当時の野党第1党は公明党が入り込んでいたんです。
創価学会も野党第1党の支持基盤の1つだった。

そして山口那津男氏は創価学会がガチで支持している候補者です。
自民党公認とは言え相手は「野党第1党と創価学会が合体」したような強敵。

その強敵相手に平沢勝栄氏は衆院選に勝ちます。

亀井静香氏は「ちょこちょこ学会批判をしていたら当選できない」「少数派の創価学会を敵を回せば多数派の有権者はお前の味方に付く」「党本部に何を言われようと徹底的に創価学会を批判しろ」と平沢勝栄氏にアドバイスします。


次の2000年の衆議院選挙では政治状況は変わっていました。
新進党はなくなり山口那津男氏は公明党の所属になっていました。
そして自民党と公明党は連立政権を組んでいます。

今と同じですね。
そして同じ東京17区から自民党・平沢勝栄氏と公明党・山口那津男氏が出馬します。

衆議院は小選挙区。
だから当選できるのは1人です。
なのに与党の自民党と公明党からそれぞれ候補者が出る。

結局、自民党の平沢勝栄氏が再選
公明党の山口那津男氏は落選

山口那津男氏は2001年の参議院の東京選挙区に転じて当選

2009年からずっと公明党の代表です。

他方、平沢勝栄氏は連立与党のパートナー・公明党に嫌われたからか分かりませんがずっと大臣になれませんでした

2020年になってやっと復興大臣になれました。
平沢勝栄氏はずっと1996年からずっと衆議院小選挙区で負けなしなのに大臣になったのはこの1回のみ。
そしてたった1年。

平沢勝栄氏に2連敗した山口那津男氏は2009年からずっと公明党の代表です。

政治家としての影響力を考えると圧倒的に山口那津男氏の方が大きかったと思います。

政治って難しいですね。

他にも公明党の候補者と激しい選挙をした国会議員がいます。

・菅義偉vs公明党(創価学会)→総理大臣に上り詰める

実は菅義偉元総理最初の衆議院選挙では公明党と激しく激突しました。​

1996年の衆議院選挙。

相手は新進党(公明党も参加した野党第1党)の現職。

この時は徹底的に公明党を批判する戦術を取ります。

なんとか当選した後は公明党とすぐに手打ち
今では公明党との強いパイプを武器にしています。

このくらいに豹変できるくらいではないと総理大臣にはなれないのかもしれません。

ちなみに岸田総理と公明党は隙間風すきまかぜが吹きまくっていると言われています。

隙間風が吹きまくっていたのにさらに自民党が「派閥とカネ」で国民をガチギレさせています。
公明党や創価学会は「政治とカネ」問題には厳しいです。

今後の政局(特に連立与党)はどうなることだか・・・。
岸田総理がうまくコントロールできそうに見えませんけど・・・。

最後に変わり身が早すぎる政治家を取り上げます。

政界風見鶏せいかいかざみどり中曾根康弘なかそねやすひろ→総理大臣に上り詰める

話はかなりさかのぼります。

まだ社会党が野党第1党として憲法改正を阻止してたころです。

中曾根康弘という自民党の大物政治家がいました。

1979年40日抗争と呼ばれる政治闘争がありました。
自民党内の派閥争いです。

この争いは1980年になっても収まりませんでした。
野党は大平内閣に対して内閣不信任案を提出。

大平内閣を支持する派閥(田中派・大平派)
反主流派(福田派・中曽根派ほか)

という状況。

反主流派の福田派は内閣不信任案に欠席の方向。
福田派が集まっていたところに中曽根氏がやってきて「勇気ある行動だ!」と演説ぶった。

しかし中曽根派は衆議院本会議では内閣不信任案に反対の投票。
反主流派だったのに突然裏切ります。

亀井静香氏は中曽根康弘氏のことを「ここで主流派・田中派に身を寄せたことが総理への道へつながった」「政界の風を巧みに読んだからこそ総理になれた」と分析しています。

中曽根元総理は政界風見鶏かざみどりと言われた(バカにされた?)けど、これくらいの変わり身の早さがなければ総理にはなれないのでしょう。

今回のお話は以上です。

最後はかなり昔の話になってしまいました。
社会党が存在しているだけで憲法改正を阻止してた時代です。

その社会党はもはや存在しません。
後継の社会民主党の議席数は無残。

2024年にもなるとさすがに憲法改正の可能性が迫ってきました。

ということで明日は「憲法改正」についてnote記事にしたいと思います。
テーマ「緊急事態条項」です。

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