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丁寧にさせたいけど、どうしてできないの?

このブログを音声化したものです。内容を少しふくらませて収録していおります。ありのまま@9の人柄もより表れております ↓

From:ありのまま@9

ジャズの流れる東京のホテルより、、、

昔の話ってあまり記憶にない。

僕は、動物的というか本能的にに生きてきて、

やっと今、42歳になり

人間になってきた感じである。

だから、感覚的に生きてきた頃の記憶は

ほとんどない。

あまり考えてなく、感覚的に本能的に

生きてきた証でもある。

今の方が人間的だが、

感覚的な部分でいうと退化してしまったかもしれない。

さて、そんな感覚的な時代にも記憶されていることがあって、

それはそれは強烈のインパクトだったのだと思う。

死ぬかと思った体験とか感動的な場面などである。

そういったエピソードは、ビデオを再生するように

再現できちゃう。

目の前に映像が流れ、その時の自分の視界が広がる。

そんな貴重な記憶の一つに「丁寧」のエピソードがある。

高校時代、大学の願書を書いている時

「もっと丁寧に書きなさい」

と言われた。

「丁寧」に書くってイメージできますか?

丁寧って、「ゆっくり綺麗に書く」

って言う人がいますが、では「綺麗」とは?

ってなるからわからない。

イメージできないから「丁寧」に書きなさい

って言っても一向に変わらない。

だって本人は丁寧なつもりで書いてるもん。

子供だったらなおさら変わらない。

だからイメージできる言葉で定義してあげる。

私の求める「丁寧」はこうですよ

って。

高校時代にたどり着いた私の「丁寧」の定義は

「角をつけること」である。

例えば「口」

この角をくるっと書くと、雑って言われちゃう。

角をしっかり取ると「丁寧」と感知される。

たったそれだけ。

これを教えて「丁寧に」と言えば、

角をつけて書く。

「丁寧さ」は極めて大事なしつけだから

時間がかかってもなんどもなんども言い聞かせる必要がある。

怒ることではなく、なんどもなんども語る。

そして、やり直しさせる時は、

質問→認め→やり直し→確認・ほめる

のサイクルをとるといいかなと思う。

もちろん毎回できないけどね。

イライラして怒っちゃうこともあるけどね。

いいよいいよ、人間だもの(相田みつを)。

5回に1回はできるようになろう(って自分を慰める)!

質問「丁寧ってなんだっけ?」→「角をつけること(忘れていたら教える)」

認める「そう。よく覚えていたね。」

やり直し「じゃ、やり直してごらん」

確認・ほめる「お、よくなったじゃん。角つけて書くと丁寧に見える」

確認・ほめるの段階では10求めていても、その子の丁寧どのレベルで

求めた方がお互いに精神状態がよくなる。

いつも2の子に10は無理。

3できたら褒めよう。

「さっきより良くなった」

って事実を伝えるだけ。

これって褒めているよ。

「すごいね」

っていうと嘘くさい(本当にすごいと思っているなら大丈夫)。

無理にほめるんじゃなくて、良い変化を見つけて、伝えるだけ。

これ大事。

その後はもっと大事。

嫌味は言わない。

「最初っからやってよね」

「他の子はもっと綺麗」

って言いたくなる。

わかるわかる。

でもやめよう。

言っても何も良くならない。

それどころかこれまでの過程を爆破し、

マイナスに持って行く破壊力がある。

穏やかに穏やかに。

だから心の状態って大事。

朝日を浴びよう!

新鮮な空気を思いっきり吸おう!

そして「まあいっか」って大事。

ゆっくりゆっくりでいい。

大丈夫、できるから。

だからこそ、最初の一歩「イメージ」できるように伝える

って大事。

PS

今日の朝はミステリアスな空だった。

こんな空があるからこそ、

晴天がより清々しく感じよね。

ふりこの原理と一緒。

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