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午前四時の試写室 (後編)

前編では、自主制作のドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』が完成するまで、中編では自主配給という未体験ゾーンに踏み込むまでの顛末を書いた。前回の繰り返しになるが、この映画は、白鳥建二さんという「全盲の美術鑑賞者」を追ったもので、映像作家の三好大輔と川内有緒の共同監督作品、そして配給会社を通さずに自分たちで直接劇場と交渉する「自主配給」を行なっている。さて、いよいよ完結編の今回は時計の針を少し戻し、クラウドファンディングの話から始めたい。

映画の宣伝・配給というものに実に多くの資金が必要になることを知った私と三好は、最終手段ともいえるクラウドファンディングを決意した。配給のための資金なので、キャッチフレーズは「映画を全国に届けたい!」である。

威勢の良いフレーズと比例するように、私は不安がどーんと募り、夜もよく眠れなかった。過去に一度だけ友人の作品集を制作するためにクラウドファンディングをしたことはあったが、今回はその時の四倍近い二三〇万円を集めないといけない。しかも、手数料を抑えるために、「All or Nothing」、つまりは目標額を達成しなければ資金を手にできないという方式を選ぼうと考えていた。タイミングの悪いことに、三好は自分の監督作品(『まつもと日和』)のためにクラウドファンディングをしている最中。「だから自分の周囲からはどれくらいの支援が集まるかがわからない、ごめん」と頼りないことを言う。

なにそれ、もうプレッシャーが半端ないじゃないか。

ほかにも悩みがあった。これまでの映画制作の道のりでは、三好と私は二人三脚でそれなりにうまく前に進んできた。しかし、二人ともクリエイターなので、事務作業は苦手だし、SNSとかITとかお金の計算とか、工程管理とかそういうことに関しては圧倒的にロースキルだった。また私たちは三〇年来の友人なので、どこかで緊張感が足りないことも否めない。ここから本気で劇場公開を成功させるには、新たに私たちの船に乗ってくれる人を見つける必要があった。長くて未知の航路を共にするのだから、信頼がおけて明るい人がいいなあ、でもフルタイムで雇うほどの話でもないし、友人のなかで誰かいないだろうか……と考えている矢先、「じゃあ、PIENO(パイーノ)さんはどうだろう」と三好は言った。

 えっ!

 とても意外な人物だった。というか、そもそも一度だけしか会ったことがなく、イベントの後に二分くらい立ち話しただけだ。そういう三好の方も何度か話をしたことがある程度である。ただ、PIENOなる人物について知っていることはいくつかあり、まず、以前あるクラウドファンディングのプラットフォームで働いていたこと、そしてもうひとつが、現在はりんごの行商で生計を立てていることである。前者はもちろんプラス材料だが、私にとって惹かれたのは実は後者だった。だって、この21世紀にりんご行商である。おもしろいじゃないか。私はほかにも何人かの行商人を知っていたのだけれど、みな独立心が旺盛で優しく、同時にアウトロー的な空気を持つ人々で、それは白鳥建二さんの生き方にも通じるように思えたのだ。

「いいと思う」
私は答えた。かくして私たちはPIENOさんに、我々の仲間になってほしいと頼んだ。彼は驚きながらも、「いいですよ、お手伝いしましょう」と言ってくれた。なんと彼はかつて映画の配給のワークショップに通っていて、ボランティアで映画祭を手伝っていたこともあるとか。それは、すごい!
 もう一人、私の頭に浮かんだ人物がいた。これまた一度しか会ったことがない人で、遡ること四ヶ月前に、長野県の小布施の図書館でエッセイを書くワークショップをした時に、遠く横須賀から参加してくれた一八歳の青年である。いわゆる鉄オタで、SLに関するエッセイを書いてきて、なかなかよく書けていたのだが、いや、印象的なのはエッセイではなかった。

ワークショップの夜、主催した友人の別荘で打ち上げがあり、SL君(と私は呼んだ)もそこに参加していた。とても寒い夜で、私たちは焚き火にあたりながらお酒を飲んでいた。その時、彼は焚き火の前で大きな体を丸めて、「ときおり孤独すぎて、ぬいぐるみを抱きしめています。この歳になって変だとは思うけど、今の自分にはぬいぐるみしか抱きしめるものがない」とちょっと泣きそうな声で言うのだった。彼は小学生の頃からあまり学校に馴染めず、高校はインターネットによる通信制のN高へ進学し、卒業したばかり。今は未来につながる何かを模索しつつも、ほとんど家にこもっているとのことだった。ああ、本当はもっと外に出たいんだな、でもしんどくてなかなか出られないんだろうなと勝手に思った。

映画配給の準備を進めながら、ふとSL君はどうしているだろうかと思った。

ワークショップを企画した友人を通じて連絡をとり、「映画配給を手伝ってみない? できる範囲でいいよ」と声をかけた。メールの返信には「お話いただき嬉しかったです。よろしくお願いします」。
 こうして、背景も性格もスキルも年齢も住んでいる場所もバラバラの四人は、西荻窪のファミレスで初会合を行い、「『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』を配給する会」を立ち上げた。

私は、クラウドファンディングの開始時点で上映する劇場をひとつでも多く決めておきたかった。だって、「全国に届けたい」と豪語しながら、結果「上映できませんでした、ちーん! ごめんなさい」だったらほとんど詐欺じゃない?

こうして三好と手分けして、あちこちに打診した結果、計五館(東京都写真美術館ホール、元町映画館、上田映劇、フォーラム山形、フォーラム福島)での上映が決定。ほっと胸をなでおろした。

「配給する会」は、良いチームとして機能した。全員がバラバラの性格やスキルを持ち合わせていることがジャズのセッションのように功を奏したのだ。文章、広報、予告編の制作、劇場のブッキング、デザインなどそれぞれの持ち場で能力を発揮し、最終的には440万円もの支援を集めることができた。副次的な効果としては、クラウドファンディング自体が宣伝となり、「うちでも上映します」という劇場が現れたことだ。その後も、劇場の支配人が次の劇場を紹介してくれたりして、上映は今日までに三三館にまで拡大。「全国に届けたい」はあながち夢でもなくなった。

新たな劇場が決定するたびに私か三好のどちらかが「よし、舞台挨拶に行こう!」と言い出した。舞台挨拶はマストではない。しかし、お客さんも劇場も喜ぶし、私たちにとっても地方のミニシアターをめぐる良い機会である。いまミニシアターが置かれている状況はとても厳しい。コロナ禍の間に、配信で映画を見ることが定着し、わざわざ映画館に足を運ばなくなった人も多いとか。だからこそ、リアルな人間同士の交流がある舞台挨拶には意味がある。

シビアに数字を見るならば、私たちの映画は興行的には大成功! とは言えないだろう。クライマックスらしいクライマックスもないので、「全米が涙!」したりしないし、感想を一言では伝えにくい映画だとの話もよく聞く。それでも、静かにゆっくりと、そして遠くまで波が広がっていくような感じがしている。

メディアの取材では、よく、どんな人に映画を観てもらいたいか、という質問をよく受ける。うーん、この質問が実に難しい。答えらしきものひねりだすことはできるけれど、本音をいえば誰に観てほしいというのは、ない。

舞台挨拶の後は、時間が許す限り多くのお客さんとお話しする。中にはとても印象に残った出会いもある。ひとりは、カイ カセイくんという八歳の男の子。カイくんは白杖を持って両親と一緒に映画館にやってきた。もともと弱視で、治療しつつ普通学級に通っていたところ、治療の影響で、少し前に両目とも全く見えなくなったとのことだった。その日はUDCastという専用アプリを使って音声ガイド版で映画を観てくれた。ニコニコしながら「面白かったよ! もう一回観たい」と言った小さな姿に、すっかり胸を射抜かれた。なんてかわいい子なんだ!
 カイくんは後日、感想がわりに一篇の詩を詠んでくれた。

 「想像」
 想像はころころかわる
 想像はなんでもつくれる
 想像は触れられない
 想像はとっておけない
 頭のなかにある
 想像で鳥をつくってみる
 もう一回つくってみる
 同じ鳥にはならない

カイくんは八歳にして詩人だった。目の治療で三週間もうつぶせで過ごさなければならなかったときに、「とっても暇だったから」という理由で詩を詠みはじめたと聞いた。そしてカイくんは本当にその後二回も映画を観にきてくれた。

今更ながらだが、私も子どもの頃から映画が好きだった。一三歳の頃、『グーニーズ』を観て、自分も映画を作ろうと決意した。大人になってもう一度観たのだが、残念ながらもう面白いとは思わなかった。それでも、『グーニーズ』はあの日あの時、私には必要な映画だった。なにしろ五〇歳近くなって映画を作りたいと願うほどの強烈な出会いだったわけだから。

そうだ、さっきの質問に戻ろう。どんな人に映画を観てもらいたいか、と聞かれたときはいつもこう答える。この映画を必要とする人に、必要とするタイミングで届けられますように。それを願っていますと。

※映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』(アルプスピクチャーズ)は、全国映画館で公開中です。詳細は、映画公式サイトhttps://shiratoriart.jpをご覧ください

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