水戸黄門的「勧善懲悪」は諸悪の根源!?

この間、娘がアンパンマンを卒業した話をnoteに書いた。


そこで、子供向けの話の多くが勧善懲悪であることに気づいたぞ、なるほど! と意気揚々と書いたところ、かつてアフリカのケニアに長く住んでいた友人・Sからこのようなコメントをもらった。

確かに(勧善懲悪は)共通の型だよね。最近しばらく、勧善懲悪思想が世の中で最も邪悪なものだと思ってたとこです。
ケニアで部族間抗争良くあって、子供とか女の人とか含めて虐殺されるんだけど、どちら側も、自分が正しい勧善懲悪ストーリーあるんだよね。俺がいた時は、タナデルタと言う場所で百人からの子供と赤ちゃんと一般の村人が虐殺された。
で、彼らのストーリーは間違ってなくて。というのは、過去に無実の私たちの母親や幼い兄弟をアイツらは殺した、と言う分析は事実。ただ、時代によって加害者と被害者が入れ替わってるだけだから。
だから紛争が無くならない。紛争は被害者が加害者を許さない限り無くならない。それだけでは必要十分条件じゃ無いだろうけど、この部分は見落とされがち。(中略)
日韓とか、パレスチナとか、無視できない大きな問題も多々ある。ある意味、身内や親や子供を思う愛ゆえに人は殺し合うと言える。
(中略)
多民族から自分達を守るという理屈で、世界中で大昔から勧善懲悪は大衆のストレスのはけ口だったり、その為、為政者が大衆扇動のツールとして使ったり。その構造は今も変わらない。
ガンダムとか、後期のヤマトとか(デスラーね)が、先鋭的である一つの理由は、お互いの勧善懲悪の入れ子状態が描かれていることだったり、一つの正義がないことだったり、そうそう、原作版デビルマンのラストがすごいのも、単なる勧善懲悪ストーリーでなくて、その一歩先に行くからで。個人的にはオススメ。

勧善懲悪が邪悪!
いやあ、ことアニメや絵本に関していば、私にはこの発想はなかった。全くもってなかった。だから、このコメント読んで唸った。考えた。すごい、確かに友人Sの言う通りだと思う。
Sはもともとアフリカやアジア諸国など、色々な立場で国際協力に関わり、いまも国連機関で働いている。だからこそ持てる視点だろう。

勧善懲悪の「悪」のほうにも、常に正しさがある。そちらの立場になってみれば、そちらが正義だ。アンパンマンのばいきんまんは、ただしいバイキン的行為をしているだけかもしれないし、実社会でも私たちが多く「悪」と決めつけるものは、何も悪くないという場合がかなりの確率である。

たとえば、私はゴキブリが嫌いだ。いやでいやでしょうがないから、見た瞬間に抹殺したくなる。うおー!なんで私のテリトリーに入ってきたんだ!って新聞を丸める。でも、ゴキブリの方からしたら、私が勝手にこの家に住んでいるわけで。お前こそ、なんでこんなに場所取りやがってー、みたいな気分だろう。害虫とか外来種とか、そういうものの多くが、実は一方的な見方で「悪」と決めつけられている。そして、「勧善懲悪」の名の下に叩かれた側は、もう一度報復に出るかもしれない。そうするうちに、憎悪関係が固定化され、差別、ひいては戦争や虐殺に発展し、終わりなき憎悪の連鎖が始まる。

そうだ、今からの時代の子供達に必要なのは、勧善懲悪のストーリーではない。勧善懲悪と真逆のストーリーだ。異質なものを排除するのではなく、共存するストーリー。叩きのめすのではなく、耳を傾けるストーリー。
そうだ、そうだ、と私は静かに思った。

何か勧善懲悪ではないストーリーを書きたいと思ったが、そもそも私は勧善懲悪的な物語は全くもって書いていない。むしろ、変わった人とか枠から外れたものとか、そういうものが好きなので、むしろこのまんま突き進もうと思った次第です。

はい、今日も原稿を書きます。

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