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翼の王国とあの時代 2 (シルクロードで、高解像度で世界を見ることを知った)

昨日に引き続いて、「翼の王国」の話をしたいと思う。
メキシコの「走る民族」タラウマラを訪ねる企画が通った私は、「ひゃっほー!」と有頂天になると同時に、どおんと不安に襲われた。なにしろ経験ゼロなので、取材の仕方も文章の書き方も知らなかった。

そこで、編集長が登場。「メキシコにいく前にシルクドーロに行ってみない?」と声をかけてくれた。

へっ?シルクロード?

しかも30ページ以上もある第一特集だと言う。「中国路線を強化したい全日空側の希望の特集だ」
未経験の人間にはまず小さい仕事をやらせてみる、というならわかるが、いきなりもっと大きな特集を任せるなんて信じがたかった。私は「うわあああー!!」とさらに有頂天になった。シルクロードは私の小さい頃からの憧れの地だった。

私が初めて海外に出たのは、15歳のとき。行き先は北京だった。

中国と日本の国交回復15周年を記念して、小学生の合唱団を中国に送り、現地の子供達と「歌」で交流させるという企画だ。外務省とかがバックアップするオフィシャルな活動ではなく、公立の小学校の父兄や音楽の先生が中心となったもっと泥臭い地味な活動である。その活動の中心にいたのがなぜだか私の母だった。私はもう小学生ではなかったが、ピアノが弾けるので妹と共に参加できることになった。たくさんの中国語の歌を覚えて、私たちは出発した。たぶん百人以上の大きな団体だった。

とにかく、その一週間の合唱旅行は私の人生の航路を大きく変えたように思う。素晴らしい体験だった。 1987年当時の北京は、現在とは全くの別世界で、泥のままの道が広がり、たくさんの四合院がたっていて、道ゆく人は自転車で人民服だった。私たちは、天安門広場や万里の長城、小学校など色々なところで歌い続けた。あの旅から戻ると、私は熱に浮かされたように外の世界に出たくてしょうがない人になり、しかもシルクロードに特に激しい憧れを抱いていた。高校生になると、椎名誠さんが出演した「楼蘭」という番組を録画し、何十回も繰り返しみていた。

だから、
「シルクロードに行かないか?」
には、
「はい!!!!」
と元気に答えた。しかも、よく話を聞いて見れば、今回はそんなに緊張する必要もないようだ。編集長の粕谷さんには
「何も知らなくていい。そして調べなくていい。むしろ調べない方がいい。何を書くかは向こうで探せばいい」
と言われていた。その何事につけおおらかな決断ができる度量にすっかり驚いてしまった。

しかも、今回はもう一人、ライターさんが一緒にいくという。その人は、創刊当時の『POPEYE』などを牽引した伝説的編集者、森永博志さんである。きっと大部分は森永さんが書くのだろう、そう思うと気楽な旅だった。

森永さんは帽子を深くかぶり、目つきが鋭かったが、面白く、優しい人だった。私があまりに何も知らないせいか、それとも、あまりにぼーっとしているせいか、「きみ、なんか面白いねー!兄貴ってよんじゃおう!」といい、旅の間中、私を「おい、兄貴、兄貴」とよんでいた。

さて、シルクロードの玄関口といえば敦煌である。北京から飛行機で敦煌に入り、ホテルに一泊。翌朝、さっそく街中にいってみて、ガッカリした。どこも観光客で混雑していて、神秘的なムードのかけらもなかった。私の短絡的なシルクロードのイメージは井上靖の名作「敦煌」(要するに秘境)のイメージで止まっていた。しかし!目の前にあるのは、なんかテーマパークみたいな風景だ。私はがっかりしながらも、自分なりに何か書くネタを探そうと街を歩きまわった。しかし、どこに言っても観光スポットばっかりで、いったい何を原稿に書いたらよいのかさっぱりわからなかった。しかしーー。

あれは確か、砂漠のなかの神秘の湖「月牙泉」に行った時だった。
「神秘の湖」は同じく観光客で混雑し、絶望的なほどつまらなそうな場所に見えた。あーあ、シルクロードってどこまで行ってもこんなのかなあと思ったそのとき。

森永さんが、車の窓をあけて
「兄貴、あれをみてごらん」
と言った。
「ほら、あの人、砂漠を掃いてるよ!」
言われた方向をよーく見ると、確かに一人の人民服のおじいさんが何もない砂漠のなかで箒を動かしていた。
「すげえなー!! 砂漠を掃いてるんだぜ!」
と森永さんは感動しながら繰り返した。そしてカメラマンに
「あれを撮っておいて」
と頼んだのだ。なぜおじいさんは砂漠を掃いてるんだろう?
よくみるとこれこそが神秘的な風景だった。

その時、私は「あっ!」と思った。森永さんは、まるで秘密のレンズを装着しているみたいだった。そのレンズはとても解像度が高く、誰も気にも止めないような小さなディテールを的確に捉える。

すごい! 私は心のなかで砂漠のおじいさんを見つけ出した、その森永さんの心のレンズにこそ感動した。そうか、こうして編集者やライターはものを見るのか!高解像度で見れば、きっとどこにでも書くネタは転がっている。全てはそのレンズ次第なんだと気がついた。

旅の間中、森永さんは「兄貴、ほらすごいよ!」と言いながら、次々と妙なものや人を見つけ出し、ものの見方、取材の仕方を教えてくれていた。108歳のおじいさんにも出会った。おじいさんは私たちのわからない言葉(ウイグル語)で何かをまくして始めた。すぐに森永さんはテレコを取り出した。録音したところで何にもわからないのに一体どうするのだろうと思っていると、「とにかくとっておけばあとで使えるかもよ」と言う。
別に手取り足取りで教えてくれたわけではない。とにかく、ただ一緒にいるだけで、そこで楽しんでいるだけで、「あ!そうか!」と思うことの連続だった。

私たちは西へ西へと旅をし、クルラやウルムチ、石油の掘削場、ゴビ砂漠などを巡った。二週間の旅を終えると、私は「新・西遊記」という30ページ以上もある特集を無事に書き終えることができた。

見開きのメインの扉には、あの砂漠を掃くおじいさんのカットが採用された。ウイグル人の108歳のおじいさんの談話も日本語に翻訳され、掲載された。森永さんは、結局は最後の締めの1ページしか書かなかった。全て私に書かせてくれたのだ。

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