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丘の上に小屋を作る (トイレ棟編)

丘の上の小屋の話
約1年前から本格的に小屋を作っている。
小屋を作りたいと思ったのは、娘が1歳の時だった。その時、私は子育て中心の生活のなかで急激にD.I.Yにハマり始めていて、一年くらいの間に娘用の小さな机から始まって、棚、テレビボード、ベンチ、建具など家具を作り続けていた。何が私を駆り立てていたのかといえば、「自分は何も自力で生み出すことができない」という焦りにも似た奇妙な衝動だったように思う。震災後、私は自分の生きていくチカラのなさを実感していた。それまで自立して生きているような錯覚を覚えたけれど、インフラなどの都市機能、巨大な物流、遠くに存在する大きな何かそして近くのコンビニなど多くのものに依存して生きていることを痛感した。あの時、たぶんそういう気持ちになった人は少なくなかっただろう。いろいろな人が農業や裁縫、料理、電力の自給などを開始したが、私の場合はDIYだった。

そうやって、机やらなにやらを作るうち、もっと大きく複雑なものを作ってみたいと野望が出てきた。そしてついには「セルフビルドで小屋を作ろう」と決意。

しかし、問題は土地である。土地がないと前に進まない、ということで色々探しているうちに1年くらいが経ってしまった。そのとき、手を差し伸べてくれたのが、山梨に住む発酵研究家の小倉ヒラクくんとライターの小野民ちゃんの夫婦だった。二人は「使っていない土地があるから使っていいよ!」と軽やかに言い、私たち家族は約1年前から試行錯誤しながら小屋を建て始めた。(その様子はスタジオジブリにのフリーペーパーの「熱風」にも連載している。)

やり始めたら、いやー、難しい、難しい! 
家具作りである程度うまく工具は使えるようになったけど、ぜんぜん違うレベル。というわけで、あっちこっちに教え乞い、スキルや力を借りまくり、本を読み、youtubeを見て、トライしては失敗し、落ち込んで……。

まあ、詳細は割愛するけれど、なんとか小屋の設計図をしあげ(うん、手書きだよ)、去年の5月に基礎工事、6月、7月は土台と壁作り(ツーバイフォー工法なのです)、建具作り、10月に建前(壁を立ち上げ、屋根をかける)というところまでようやく進んだ。草ぼうぼうの土地に家の形が出現した10月は、うわあ、まじか! ほんとにやっちゃんたんだ、と最高の気分だった。この後もまだ、建具を入れ、屋根材や外壁を貼り、内装やロフト作りなど、色々な工程があるわけだけど、とにかく「家っぽい形になった」というだけで、すごい達成感だった。

***

ルーフィングが吹っ飛ぶ!
とまあ、熱風の連載10回分くらいをいまウルトラダイジェストでお届けしたわけだけど、この週末久しぶりに家族や友人と小屋作りに行ってきた。実は去年の10月の建前以来、まったく山梨には行けてなかったので、久しぶりに小屋と再開!とういわけだ。

5ヶ月ぶりにうちの小屋を見て、ぎょっととした。まず前回苦労して屋根の上に貼り付けたアスファルトルーフィング(防水シート)が見事に全て剥がれている。どうも強風で剥がれてしまったようで、無残にビリビリに破れて、砕け散ったシートがあちこちに散らばっている。ということは、ベニヤ一枚がむき出しの状態でずっと雨風に打たれていたこと? ひゃあー、まずい!
ルーフィングはタッカーで止めただけなので、剥がれる可能性はあったわけだけど、こんなに綺麗さっぱり剥がれてしまうなんて思わなかった。


いや、本当にまずいぞ……。すごい雨漏りをしていたとしたら、中はびしゃびしゃだ。ベニヤがずっと濡れていたとしたら、ぐがががが。あんなに苦労して作った壁が腐り始めてたら・・・。

恐ろしい想像を押しのけながら、私たちは慌てて小屋のベニヤを一枚剥がし、中を検分した。すると、確かに雨は入っていて、中は少し湿っていたものの、床に厚めのブルーシートを敷いておいたので、それが水をキャッチしてくれていたようで、そこまでの被害ではなさそうだ。床のベニヤ1枚5000円くらいする耐水合板にしておいたので、それも幸いしたかもしれない。(よくやった、自分!)
風をいれて乾かして、もう一回ルーフイングを貼りなおせば大丈夫そうだったので、心から安心した。
あああ、よかった。本当によかった。

トイレづくりリベンジ
さて、今回のメインテーマはトイレ棟だった。小屋暮らしをする上で、トイレは絶対に必要だった。トイレはヒラクくんのラボと共同で外付けにしかたったというのもあり、独立した建物が望ましい。そこで、よし、いっちょうここらへんで建ててしまおうという算段だ。使える時間は一泊二日である。

実は、以前にもヒラクくんと二人でトイレ作りに挑戦したことがあった。しかしその時は、あまりに設計がいい加減すぎて、やり始めたは良いが途中でつまづき、大きな間違いに気がつくと、もうどう修正したらいいかわからなくなり、材料をブルーシートに包んで庭の隅に放置したまま、1年間もガン無視を決め込んでいた。

しかし、小屋作りから1年が経ち、本当にトイレが欲しいという状況に追い込まれてきた。しかし、あの状態からどうやって状況を立て直したらいいのか。一回ポキンと折れてしまったやる気や計画を立て直すのは、新しく始める以上に根気がいるのだ。私が思うに、一番の問題は設計だった。トイレといえども立派に「小屋」なので、作りは意外と複雑だ。設計、設計・・・と、そこで抜擢されたのは、設計士の曽根岡さん(ソネッチ)である。彼と知り合った経緯はちょっと省くけれど、とにかく彼は設計事務所に務める30歳。大学卒業後はゼネコンで働き、工事現場の監督をやっていたという。3ヶ月に一回しか家に帰れない過酷な現場に気持ちが荒み、いまは転職して設計士。先日私は浜松町の居酒屋でソネッチに会い、「ねえ、ねえ、トイレを一緒に作りませんか」と持ちかけ、前回どうやってトイレ棟作りにつまづいて、いまどんな材料があるのかを説明した。彼自身はDIYはあまり経験がないというが、「自分で家を建てる人って、初めて会いました。僕もぜひやってみたいです」と答えた。

基本的には、私が前回揃えた適当な材料セットを使ってやることに決まった。今あるのは、長野のリビセンで買ってきた中古ドアと、7.5ミリの必要以上にぶっとい角材、ツーバイシックスで作った床のすのこ、束石4個など、ツーバイフォー材にベニヤ3枚。

基礎工事と水平マスター
こうして私たちは、1泊2日のトイレ棟作りを開始。メンバーはうちの家族私、イオくん、ナナオ)、ソネッチ、友人のオッキー。1日目は基礎工事で、2日目はパーツを切り出して壁を建てて屋根をかけ(建前)、ほい完成!と、「少年よ大使を抱け!」的なスケジュールである。

基礎工事の手順は、①穴を掘る ②基礎の位置を決める ③水平をとる ④コンクリートを作り、流し込む、というもの。こう書くと簡単だけれど、③の水平をとるというのは実に難しい。そもそも土地には傾斜があるうえ、土も柔らかい。まずは、二グリープに別れ、ソネッチと夫のイオくんとナナオの三人は、必要な材料を買い出しに。私とオッキーは穴を掘るという係になった。

私たちが深さ20センチほどの穴を掘り終わると、買い出し班が戻ってきた。穴に砂利を流し込むと、その後は水平をとる作業なのだが、これがかなり難しい。普通はレーザーなどを使って水平をとるのだが、今回私たちが持っているのはアナログな水平機だけ。設計士のソネッチは「うーん、これは、どうやってやったらいいんでしょう」と唸ってしまった。すぐに現実逃避ができる私は、とりあえず目の前のやれることとして、コンクリートを流し込む用の型枠作りなどに集中していた(穴全体にコンクリートを流すと膨大になってしまうため、四隅に型枠を入れて、そこにコンクリートを流しこむ)。

すると、オッキーが「型枠の間に水平器を渡してそこで水平をとったらどうだろう」という現実的な案をだし、砂利の微調整を始めた。彼が砂利をとったり、盛ったりを繰り返していくと、なんということでしょう! 驚いたことに本当に水平が取れているではないか。彼はもともと鋳造家として働いていて、普段から銅像の設営などをしていて、感覚を頼りに水平をとることに慣れているのだ。
「すごい、すごすぎる。できるんですね。人間がこんなことできると思いませんでした」(ソネッチ)
「オッキー! 人間水平器だ!」(有緒)
などと褒めそやしながら、私たちは水平がとれたことを心から祝いあう。そして、今度はいざコンクリートを練って流し込むぞ!という段階になって、今度は圧倒的にセメントが足りないことが発覚した。
「スミマセン、どうしよう、僕のせいです」と買い出し班のソネッチはがっかりした顔で言うが、別にここはゼネコンの現場ではないので、「別にもう一回買いに行こうよ、そうしよう!」とまたみんなでわいわいとホームセンターへ。セメントを買い足した。ソネッチは細いわりに筋力がものすごく、20キロのセメント袋2つを軽々と持ち上げ、私たちを仰天させた。「コツがあるんです。そもそも工事現場では、4つとか5つか運ぶんで」と当たり前のように言うが、そりゃ、ほんとにすごいことだよ。

その後、バケツでコンクリートを練って流し込み、無事に基礎を打てた。
「勝った、僕たち戦いに勝ちました」
「やったね、ソネッチ」
「いや全員の勝利です」
とオリンピックチームのように激賞しあった。

夜は温泉に入って、ヒラクくんの手料理をご馳走になった。

ゾーンに入る
翌朝からはパーツに切り出しと組み立ててある。今回の小屋も基本的にはツーバイフォー工法で作るので、壁を作って、一気に立てて、屋根をかけると言う作業である。一度組み立て始めたら、もう絶対的に屋根まで完成させないと、雨が降って全てがおじゃんになってしまう。
もうここまでやるしかないということで、時間との戦いで突き進むことになった。束と土台を固定し、土で埋めたあとは、とにかく私は必要な材料を切り出していく係になった。丸ノコを使って、ベニヤなをガシガシと加工していく。

イオくんと娘のナナオも今日はDIYデーで、ベンチに色をぬることに決まった(私とオッキーが前日の暇な時間帯に端材で作っておいた)。ナナオが全て自分で色を決めて塗るというなかなかドキドキするオペレーションである。彼女が選んだ色は、赤、黄色、緑。いったいどんなベンチになるのやら? 

同時に、普段からお世話になっている大工の丹羽さんもやってきて、屋根のルーフィングの修復を手伝ってもらう。そして土地オーナーのヒラクくんもまた、ウッドデッキを貼りはじめた。

午後は、トイレ、ベンチ、屋根、ウッドデッキとそれぞれの持ち場で作業。とても静かで、全員がゾーンに入っている感じがある。ナナオも、顔中にペンキを付けながらものすごい集中力を発揮して色を塗り続けている。


ソネッチ、わたし、オッキーのトイレチームが一番苦戦していて、なんどもその場で、設計変更が行われる。
「やっぱり、こうしないほうがいいのかな・・・」「設計図と全然違うものが出来上がってきています・・・」とソネッチと言いいあうが、そういう臨機応変さがDIYの醍醐味だろう。午後から用事があるというオッキーが東京に帰ると、イオくんがトイレ班に組み込まれ(ナナオは昼寝中)、黙々と作業を続けた。一番難しかったのは、屋根の波板の取り付け部分である。脚立2台を駆使して、慣れない高所作業を続けながら、丹羽さんのアドバイスも受けて、なんとか屋根(波板)の設置までたどり着いた。

そして、夕日が沈んだ夜6時半、その日予定していたもの全てが完成!ヒラクくんのウッドデッキも、ナナオ&イオくんのベンチも、屋根の修繕も。そして、一年越しのプロジェクトのトイレ棟も!

いいじゃないですかー!
見た目もなかなかかわいい。
まだペンキなどは塗っておらず、窓も入っていないので、まだどう見ても未完成感が否めないが、私は1年間見ないようにしていたものが、たったの二日間で形になったことにものすごい達成感を覚えていた。

ソネッチは、「楽しかった。もう2日間も経ったなんて信じられないです。5分くらいしか経ってない気がします」と満面の笑顔でいう。

さあ、帰ろうと言う段階で、最後にソネッチが、「本当に雨漏りしないかなあ。ちょっと心配です」と言うので、「じゃあ、実験してみようか」ということになった。バケツいっぱいに水を汲み、私は高い位置からトイレの屋根に向かって勢いよくぶっかけてみた。
「もっともっとかけてください」とソネッチが言うので、私は遠慮なく、ドバドバと水をかけた。
結論。全くもって雨漏りはしなかった。
「ソネオカはびしょびしょですが、トイレは無事です!」
ソネッチは、その日一番の笑みを浮かべた。

(また、ぜひ連載「丘の上で小屋を作る」でも。次回の連載の掲載は6月号。テーマはちょっと時を遡って「建前」です)


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