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インディペンデントに生きるってなんだろう。 クソガキだったあの頃といま

昨日は18歳の頃からの友達のゆみ(佐久間裕美子さん)と一緒に、素敵な書店readin' writin'でトーク。27年前、初めて会った時ゆみはセーラー服を着たなつっこい子犬みたいだった。年は1歳違い、そして高校も大学も違うけれど、私たちは友人になった。

わたしがアメリカに渡る時、ゆみも卒業旅行でアメリカやってきた。ニューヨークから、「おねえちゃん」(というあだ名、わたしもゆみもそう呼ぶ)の友人の運転する車でワシントンDCへ。途中で寄ったショッピングモールでお昼ご飯を食べようということになり、おねえちゃんが、「何を食べたい?」と聞いた。ゆみはすかさず「アイス!」と答えた。面倒見の良いおねえちゃんは、「こいつ大丈夫か?ちゃんと食べさせなくちゃ!」と思ったのか、今でもおねえちゃんはゆみにせっせとご飯を食べ続けさせ続けている。(ゆみの著書のなかでしばしば出て来る「山の家」を貸している人がその人だ)

出会いから5年後、ゆみはイエール大学に進み、わたしはジョージタウン大学に進んだ。アメリカ東海岸同士だから、またちょくちょく会えて、友人づきあいは続いた。思えば日本にいる頃、中途半端に勉強ができた私たちはいい気になってアメリカの名門大学院に進んだわけだが、周囲にゴロゴロしている秀才や天才に揉まれておおいにもがき苦しみながら卒業。社会に出て、自分の現実を知った。その後、私たちは2001年を境に、連絡を取り合わなくなった。意識してというわけではなく、ゆみは当時結婚していたし、わたしはその後、東京、パリと転職を繰り返し、なんとなくアメリカのことを振り返る暇がなくなってしまったのだ。しかし、去年、わたしはゆみのことをツイッター上で見つけた。そして、おーい、ゆみとオンライン上で話しかけ、17年ぶりに再会。その様子は、新刊の「My Little New York Times」にも書かれている。

この本はトランプ政権下で絶望したり、希望を見出したりしてもがく一市民の1年の記録だ。読みながら、あっ同じだなって思った。わたしも日常の中で絶望と希望を交互に感じる。世の中や政治、ニュースを広く見渡すと時に世界に絶望したくなる。(おとといは「辺野古に土砂投入」で、今日も「青山のブランドイメージ守って」で絶望したくなった)。でも、見回せば自分の周りには素敵な人がいっぱいいて、面白い活動をにトライしていて、アートやアイディアや美味しいご飯に溢れていて、肌感覚でいうと世界は希望に溢れてる。希望のタネは、実はどこにでも小さく転がっている。そういうものを拾い集めていくことで、自分の中にある泉は透明な水で満たされていく。ゆみもそんな風に生きてんだな、って思った。いや、もしかしたら、みんなか。


イベントでは、お互いの本を行ったり来たりしながら「インディペンデントに生きる、インディペンデントに書く」を語った。18歳のあの頃、ふたりともものを書いて生きていこうなんてつゆほども思っていなかった。でも、ゆみはニューヨークの通信社で働いて、わたしはアメリカ、日本、フランスを転々とする中で、お互いに気がついたらインディペンデントという立場に流れ着き、そのままモノを書いていきていた。強い意思で、というほどではなかったかもしれない。でも私たちには伝えたいことがあり、今日も書く。

インディペンデントに生きるってなんだろう。わたしは結婚して子供もいて家族で住んでいるから、その点ではゆみとは大きく違う。娘はまだ小さいので、自分の時間もあまり自由にならない。でも、精神のインディペンデントという意味では似ていると思う。

精神の自由、それは自立して生きること。自分の食い扶持は自分で稼げること。自分の意志で、自分が今日進む道を決められること。会いたい人に会えること。いつでも旅をする準備ができていること。頼りにできる友人がいること。日々、笑えること。絶望のなかで希望を見いだせること。

一緒にいると、18歳で「クソガキ(by ゆみ)」だったあの頃と、物を書いて生きることになった現在とを自由にビューんと行き来できる。

そういう友達は後からは作れない。
あの時の出会いと再会に感謝を。

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【告知】
その1 この対談の様子は、のちにハフィントンポストで配信されることに。よかったら読んでください。またお知らせします。
その2 週刊文春、週刊新潮、週刊現代などに書評掲載中!
その3 来週のアエラに登場します。

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