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聖なる島の闇のなかで

茂木健一郎さんのラジオ番組、FM TOKYOの「ドリームハート」の収録にいってきた(放送日は12月くらいらしい)。
茂木さんとお会いするのは初めて。だけど、なんでだろう、全然初めてな感じがしない。もしかしたら、一度電話でお話したからかな?

茂木さんがお電話をくれたのは7月7日、開高健ノンフィクション賞の発表の1時間後くらいだった。

以前ブログ (「その日わたしは・・・」)で書いた通り、受賞のお知らせをもらった後も私は「本当に受賞したのか!?」「空耳だったんじゃない?」との疑念を払拭できなかった。
しかし、どうも本当らしいぞ、との実感を持てたのは、茂木さんのこのツイートのおかげだった。

その後、茂木さんから直々にお電話をいただき、「いやー本当によかったねー!選考会はすごい白熱した議論だったんだよー」と教えていただいた。

茂木さんによれば、最後に残った4作品の間で様々な議論があったようだ。その論点に関しては、「青春と読書」に掲載された選評に詳しいのでここでは書かない。ただ、作品とか内容とは別の点で議論になったのは、私がすでに4冊の本を出していたことらしい。たぶんこの賞には、まだ世に出てない人を後押しするという意味もあるのだが、さすがに4冊の本を出していて「新人」とはいえない、だから「賞というのもどうなのか」という議論もあったらしい。しかし、思い出して欲しい。私は、wikipediaもない(この時点では)し、インスタのフォロワーも300人しかいないという堂々たる無名&低空飛行作家である。最終的には、「この人は本は出ていても、かなり無名だよね」「うん、そうだね」ということになったという。いやー、wikipediaがないことが吉と出る日が来るなんて誰が想像するだろうか?

「それで、いまどこにいるんですか?ここに来るんですよね?」
と茂木さんがおっしゃられて、「えっ!」と驚いた。だって、その時私は沖縄の離島の久高島にいたのだ。そう言うと、茂木さんのほうが「え!」という反応である。

どうやら、こういう場合、選考会が行われるホテルの近くのお店などで待機していて、受賞がきまると同時に選考会場に駆けつけるという方もいるらしい。しかし、そんなことは1ミリも発想できなかった私は、商店が2軒と食堂が3軒しかない小さな離島にいたので、もはやどうしようもない。

その夜は、家族3人でたった一軒だけ開いている食堂にいき、「いえーい! 豪遊しようぜ!」(イオくん)「よしよし、なんでも好きなものを頼みたまえ」(私)と言う算段にまとまった。豪遊といっても、定食が4種類くらいと、島野菜の天ぷらくらいしか頼めるものはないこじんまりとした店だ。イオくんは、一番高い「ウミヘビ」の定食(確か2000円くらい)を頼んだものの、私はしょうが焼きとビール、娘はソーキそばである。

すぐ隣の席では、地元のおじいさんと若者がこの島の幽霊スポットの話をしていて、あまりに興味深いので、途中からその話に参戦。実は、私は5年前にもこの島を訪れていて、生来、霊感ゼロにも関わらず、実に奇妙な体験をしていた。それが、そのテーブルの方の心霊体験とあまりに酷似していたのだ。
「ひえー!まじですかー!」
と島のおじいさんたちと盛り上がり、もはやなんだかわけのわからない夜になった。

翌朝は、沖縄の神様に感謝すべく、ご来光を見に行こうということになった。沖縄最大の聖地である久高島には琉球の創世の女神、アマミキヨが降りてきたと伝わるカベール岬がある。実は、私とイオ君は5年前にも二人でここに朝日を見にきたことがあった。あれから5年、無事に娘が生まれ、私もなんとか作家として滑り出せ、イオ君も稀人ハンターというライフワークを見つけた。そういう全てに感謝をしたくなったのだ。

翌日は朝4時に起床する。
ぐっすりと眠りこけている娘を起こすと「ねむいよーまだよるだよーおきたくないー!うわーん!」と半泣きになって訴えてくる。だよねー、ごめんねー。でも、今日は特別な日だから行こうねー!という容赦無く叩き起こし、自転車にまたがって3人で出発。真っ暗なジャングルの一本道をすっ飛ばして走る。

道のりは約4キロ。街灯はない。
湿った風を頬に受けながら、真っ暗な道をひた走る。
自転車のライトは壊れているので、ただ闇の中をやみくもに漕ぐ。時折蜘蛛の糸が顔にまとわりつくのを感じるが、もうそれもどうでもよかった。私たちは木々のざわめきと何かの動物の気配を聞きながら、ただ自転車を漕ぎ続けた。

最高だった。こんなに最高な気分は久しぶりだった。島の空気のせいだろうか、夜の闇のせいだろうか。自分とジャングルと風が一体化して溶けてしまったような気分だった。

岬について数分すると、朝日が力強くあがってきた。もちろん美しかった。

でも、今思い出しても最高だったのは、闇のなかで自転車を漕いでいる15分間だった。
どうしてだろう。
もしかしたら、いま自分は光を目指していると知っていたかもしれない。いままだ自分は闇のなかにいる。
でもどこか遠くに向かうべき光がある。
たぶんそれこそが、人生で最高の瞬間なのかもしれない。

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