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「ママ、寂しかったんだね」

久しぶりにエツツの大きな絵を寝室に飾った。わたしがパリで住んでいたアパルトマンを描いたもので、今から11年前にエツツがプレゼントしてくれたのだ。

「あっちゃん、いま、あっちゃんのために絵を描いてるよ!」そんな風に軽やかにエツツは言い、ある日絵をくれたんだった。メトロでうんしょ、うんしょと運んだっけ。いま東京の寝室で見ると、とても大きな絵だ。

その夜、娘のナナと二人で並んで布団に入り、この絵について話した。エツツがくれたこと。パリに住んでいたこと。

絵の中では、夜のアパルトマンで、女性がひとりだけソファに座っている。

「これは、ママだよ。このお部屋に昔住んでたんだ」
「パパはどこにいるの?」
「パパはこのころ遠くに住んでたんだよ」
「おばあちゃんとさっちゃん(妹)は?」
「もっと遠くに住んでたんだよ」
「ママはひとりだったの?」
「うん、パリでは一人で住んでたんだよ」

そこまで会話をしたら、娘が「うわーん!!」と激しく泣き出した。
「ママ、ひとりなんだね。ママ、さみしかったね。パパもおばあちゃんもさっちゃんもいなくて・・・うわーん!!!ママ、かわいそう・・・うわーん!!!」

涙があとからあとから溢れてくる。

思い返すと、あの頃、別に寂しくはなかったけど、確かに孤独な時間は多かった。
朝起きて、一人でクロワッサンとコーヒーだけの朝食をとり、本だけを持って長い散歩をして、美術館やリュクサンブルグ公園をめぐって、ぼーっとしていた。気が向けばスクワットにいってエツツやアーティストたちとワインを飲むこともあれば、一日を一人で過ごして、夜遅くまで一人で飲んで音楽を聞きながら寝てしまうこともあった。孤独だったけど、とても楽しかった。私は孤独を愛していた。

だけど、娘の優しさが嬉しかったから、「うん、うん、ありがとう」と言った。

それと同時に子どもにとって「一人になる=本当に辛いこと」なんだなと思った。

もしかしたら、子供というのは途方もないほどの寂しさと隣り合わせに生きているのかもしれない。温かいお腹の中から世の中にポーンと放り出され、泣きわめくしかできず、必死で「誰かきてー!」とか「お腹すいたよおお!!!」と訴えていた赤ちゃん時代。

四歳になった娘は、いまはあんな風には泣くことはない。でも、娘は寝室でもトイレでもひとりではいることを極端に嫌がるので、たいていは誰かと一緒にいる。それどころか、まだ1秒たりとも一人で家にいたこともない。しかし、いつの日か寂しさの薄皮を引き離しながら、ちょっとずつ自立して旅に出るのだろう。あげくの果てには、家族と遠く離れてすみ、孤独な生活を愛するようになるのかもしれない。あの頃の私のように。

でも、そんな日はずっと先でいいんだよ、ずっとずっと先でーー。

「ママはナナに出会えてよかったよ。ずっと一緒にいようね!」
そう言うと、娘は「うん!」と安心したように答えた。


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