十字軍の悲劇から考えたこと。
写真は、十字軍遠征時の服装を再現したものです。サッカーが好きな方ならお気づきでしょうが、旗はイングランドの国旗に似ていますね。
中学の歴史や高校の世界史では必ず学ぶ十字軍。
今回は、その遠征にまつわる悲劇と背景について触れた後、私なりの思いを述べたいと思います。
十字軍の遠征は、ローマ教皇の呼びかけにより聖地エルサレムを奪還を発端とした1095年から1291年の間8回行われ、キリスト(カトリック)教徒にとっては聖戦として見なすようです。
しかし、イスラム教を母体とするムスリム社会においては、キリスト教徒による蛮行でしかないと見做し、赤十字を見ると嫌悪を覚えるため、赤十字の活動は、緑色に塗り直して行っているそうです。
なぜ嫌悪を覚えるかといえば、十字軍、特に民衆が中心となって組織した民衆十字軍の行ったことが惨すぎるから。
掠奪・虐殺の限りを尽くし、挙げ句の果てには食人まで行われるなど、イスラム教徒は多くの犠牲を強いられました。
さらに、遠征に乗じてユダヤ人虐殺や正教会に対する攻撃、領土拡張のために他のカトリック教国まで侵攻するということまで行うようになってしまいました。
行き過ぎた行為にはローマ教皇は破門することもあったのですが、戦地までは統率は取れなかったようです。
隣人愛を説くJesus Christの教えを信仰しているはずのカトリック教徒が蛮行に至ったのは、兵士不足を補うために囚人達を使い、参戦すれば罪を赦されるという「免罪符的な恩賞」を与えたことが大きいようです。
ただ、キリスト教(カトリック)諸国といっても、当時聖書を読めることができたのはラテン語を使える聖職者や一部の支配階級だけで、使い捨ての存在だった兵士は、イエスの教えをよく知らなかったことも大きいですね。
ルターがラテン語からドイツ語に翻訳して印刷機を通じて普及したのは16世紀前半でした。
十字軍の兵士が聖書を読めるプロテスタントだったら、従軍はもっと少なかったでしょうし、戦い方も異なっていたことでしょう。
十字軍の遠征によって、ルネサンスが興り、西洋文化が大きな転換期を迎えたことは史実上明らかではありますが、キリスト教徒とイスラム教徒との間に深い禍根を残す結果となってしまいました。
近代からごく最近に至るまで、キリスト教国が中東のイスラム教諸国に対して行ってきた収奪や侵攻は、私たち日本人の想像以上に許されるレベルものではありません。
双方のわだかまり、溝を埋めるにはかなりの時間がかかりそうに思います。
最近も火種が発生していますし。
とはいえ、関係を修復する方法がないかといえば、少しはありそうな気がします。
こじれた当事者同士が歩み寄るための第三者がいて、その働きかけがあれば、何とかなるのではないかと考えます。
この役割は、自国に有利な方向に意図的に持っていこうとする中国や、新たな宗教対立を招きかねないインドでは難しいのではないかと思います。
欧米にも中東にも顔が利き、相手目線でサポートするだけの技術力やノウハウを有している宗教的にニュートラルな国といえば日本しかありません。
中東諸国の方々の日本に対する尊敬や温かい眼差しは、その辺りも期待しているのではないか、と個人的には感じますが、みなさんはどうお感じでしょうか。
それでは、今回はこの辺で。
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