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『細雪』と大阪の思い出

谷崎潤一郎の『細雪』を読んでいる。

芥川龍之介や夏目漱石、川端康成など日本を代表する小説家には一通り目を通してきたつもりだったが、谷崎潤一郎は読んだことがなかった。文章もほぼ現代文調になっていて読みやすいのに。

何の前知識も持たず読み出し、まだ半分くらいしか読んでないけど、日本が太平洋戦争に突入しそうな時代の中で、関西の風土・風情を背景に、四姉妹の日常生活を世知豊かに生き生きと描いた小説のようだ。上中下巻に分かれていて、私の大好きな大長編の群像劇ではないか。「おお。こんな面白い作家がまだいたか」と心が弾んだ。

読んでいて何やら懐かしい気持ちになったのは、序盤で出てくる幸子・雪子・妙子の三姉妹の関西情緒溢れるやり取りに、我が母の若かりし頃の姿を重ね合わせたからだろうか。

私の母は三姉妹の長女として大阪で育った。仕事の都合で北陸にきたけど、私が子供の頃は毎年大晦日になると母の実家がある藤井寺に帰省し、大勢の親戚と一緒に水炊きの鍋を囲むというのが慣例になっていた。

三姉妹が揃えば話に花が咲き、茶の間で祖母や親戚を交えてみかんを食べたりテレビを観たりしながら深夜まで話し込む。そんなことがよくあったなあと、私は子供のくせに、その母たちの話尽きぬ姿を、幼い頃一緒に暮らしていた姉妹だからこそ分かり合える何かがあるんだろうかと傍観者のように眺めていたのだった。

実は母たち三姉妹の上には種違いの長男がいる。私からすれば伯父にあたるこの長男の実父は戦死し、夫を失った私の祖母はその弟(私の祖父)と再婚したという経緯がある。この伯父は、母方の親族の中心人物として長く君臨してきた。今も存命だが、最盛期の勢いは衰えた。抜きん出た商才と一種の神懸かった洞察眼があり、若い頃から自営で身を立てた後に、様々な事業に手を広げて一代で財を成した生粋の叩き上げである。サービス精神旺盛な面もあり、伯父が企画した年末年始や夏休みのイベントに私たち家族も便乗させてもらうといったようなことが時折あった。

伯父は頭の回転が速くて弁も立ったが、一方で気性が激しく、カッと頭に血がのぼると相手を容赦なく攻撃する悪辣なところがあった。顕示意欲が極めて強く、私も含め三姉妹の子をつかまえては声高に貶めたりなぶったりして愉しむこの伯父を、幼い頃の私は大の苦手にしていた。大阪の旗本的な親戚たちはまるでショーを愉しむかのように伯父の外様いじりを囃し立てたりして、幼い私は何を言っても論破されるので、そのうち言い返すことも諦め、言いたい放題言われるまま、自分の無力を痛感して為す術もなく、ただただ傷ついていったのだった。

おかげで今でも関西系のきついツッコミやマウンティングをする人に接すると、とてもとても嫌な気分になってしまう。

私の父はこの伯父のことを心良く思わず、距離を置いて極力関わりを持たないよう警戒していた。父は職人気質で非常に口下手だったが、自立心が強くて頑固な一面もあったので、この商売っ気の強い支配的な伯父とまったく馬が合わなかった。私たち子供は、父から、伯父がいかに血も涙もない悪漢であるか、金銭欲が強く抵抗しなければ最後は全てを奪われ隷従させられてしまうこと、だから絶対に心を許してはいけない質の悪い人物であると、繰り返し繰り返し、徹底して教え込まれた。

これは親による子への明らかな洗脳ではないかと、今ならば思う。子供の頃はそんな風に考えないので、私は父の教えを頭から信じ、伯父と関わらない人生を必死で模索した。

一方、母は伯父のことを信頼し、ほとんど「崇拝」といってもよいくらいの感情をもって接していた。母にとっては伯父は幼い日を共に過ごした頼れる兄であり、何か困った問題が起こる度に伯父に相談し助言をもらうということを繰り返してきた。伯父は、母を通じて、私たちにリスクを取らせようと頻繁に迫ってきた。自分の事業に私たちを巻き込もうとしたり、不動産取引に関わらせようとしたり。母はこんな時、まるで中身が空っぽになったように、伯父の言われるがままに行動してしまう。母が大阪の伯父と会う度に色々なことを吹き込まれて帰ってくるので、独立心が強く伯父の影響を受けたくない父は、「これ以上我が家を引っ掻き回さないでほしい」とほとほと困り果てているようだった。我が父の半生は、このアクの強い伯父から我が子らをいかに守るかに費やされてきたといっても過言ではない。

伯父は、私にも、会う度に今取り組んでいるビジネスや一緒に仕事をしている人、お金や人生についての独自の洞察や持論を能弁に語って聞かせた。なので若い頃の私は、伯父から強烈なインパクトを受け、人生の節々で、父と伯父が放つ価値観の狭間で揺れ動くことになった。どうしたら伯父の支配から逃れられるのかを考えつつ、伯父の為すことや豊富なビジネス経験からくる言葉に魅力を感じ、第二の父親のように畏敬の念さえ抱くこともあった。しかし、伯父の言動にはある種の誠実さというものが一切欠如していて、それがどうしても私の価値観と相容れなかった。

そんな伯父も、私の父が亡くなった頃から、私たちへの過度な介入行為をしなくなった。たまに会うことはあっても、毒気のある言葉を浴びせかけることはあれど、とって食われるのではないかという昔ほどの脅威は感じなくなったように思う。自分が最愛にしている唯一の男の子の孫(伯父の家は女系が強く、四人いる子供は全て娘で、その娘たちが産んだ子も、一人を除いて全て女の子)に対して、「何かあれば相談するといい」といって私と無理やり連絡先を交換させるなど、「おや」と思うような行動が見られるようになった。

伯父は、私のことを散々馬鹿にしながらも、東京で長く自立した生活を送っていることに対してある程度認めてくれているのかもしれない。

今思えば、伯父は伯父で、思うようにならない私の父に対して苛立ちを感じ、対抗意識を燃やしてしきりに挑発行為を繰り返していたのかもしれない。伯父も父も、実の父親が早くから他界し、養父に育てられるという似たような環境で育ってきた。年齢も同程度で、お互いに自営で身を立て、立場や実力は圧倒的に伯父の方が強かったが、それだけでは満足できない何かがあったのかもしれない。

親族の皆が伯父に追従していく中で、私の父だけは、言いたい放題言われながらも、媚びたり迎合したりするようなことが一切なかった。思えば私の祖父も、自分がいちばん可愛がった長女の夫である私の父を頼りにしている節があった。

大阪の実家にて、母が親族に囲まれて楽しげにはしゃぐその陰で、一人所在なく煙草を燻らせる父の姿が切なく心に浮かぶ。

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