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透明なもの。

過去のアメブロより。
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風呂に入りながら、先程見た、透明に暮れていく空を思い出してました。
夜になる手前の、透明な青。
どこかで見たな、と考えてたんです。
そして、思い出しました。
「母の今際の際の、瞳だ」と。

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危篤の母を、兄弟で見守っていた時。
母の瞳は、どんどん生気を失い、透明になっていきました。
悲しみの慟哭の最中に、どこかで「なんて美しいのだ・・」と感じていたのです。

美しい。

別に、光が差し込んで、天使が舞い降りるわけではありませんが。
その透明になっていく瞳を見たときに、「救われる」気持ちになったのです。

今、感じることは。
母こそが、あのとき「救われていた」のだと。

そこに、確かに「在った」。
そして、命を終えたとしても、僕らの心に「在る」。
いつだって、在るということ。
透明になっていくこと。
気配になっていくこと。

死は、終わりではない。
ただ、「在り方」が変わるだけだ。

今回の未曾有の出来事で、多くの方々が、在り方を変えました。
否応なく、という言葉が正しいのでしょう。
周りの家族や知人の気持ちを思うと、世界全体がどれだけ悲しんだことでしょう。

今際の際。
彼らは、どう思ったのでしょう。
透明になっていく世界に、何を見たのでしょう。
僕が感じた体験は、当たり前だけど、みんなに当てはまるものではありません。

ただ、どの別れにも、救いがあるのでは、と、おぼろげに感じるのです。そのために、絵を描いているのではないかと。

在り方が変わり、世界が変わること。大切なあの人の心が、変わること。

何かのきっかけで、そこに、救いと美しさを見出せるのでしょうか。
在り方が変わった人たちは、今、遠い世界で何を思うのでしょうか。

あの、広すぎる途方もない空の果てで、私たちのことを、どう感じているのでしょうか。

命は、何なんだろう。何のために、生まれたのだろう。

透明な形で生まれて、透明になって失われていくもの。
透明さ。

救い。
美しさ。
そんなことを考えていたら、今、静かに雨が降ってきました。

おしまい。

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