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歩く、歩く。

保護犬だった愛犬モネは、4年ほど繁殖犬として200頭の中で暮らしてきた。だから、尻尾を振ることを知らなかった。
うちに迎えて半年、モネの姿に違和感を感じたら初めて尻尾を振っていた。当たり前が覆された。ああ、犬って尻尾振るんだったっけなと。

その愛犬モネも、水もほとんど飲めなくなったが、徘徊する気力はある。あちこちの狭い角を目指して、自分のルーティンで歩いている。今朝は僕の足の間に頭を入れて、挟まって動けなくなっていた。何もかも愛おしい。

外でしかおしっこをしない。数時間おきに外に連れ出すと、一番元気に動くのは「尻尾」だ。
ワンツーワンツー!と掛け声をかえると、尻尾がプルプル!と震えだし、おしっこをする。勢いよく震えてる尻尾をみて、ああ、尻尾を振ってるな・・とありのままに感じている。

命を使い尽くす。
最後の一滴まで。
モネは歩く。もはや腰を下ろして休む筋力もない。こちらが休ませなければ、永遠と歩き続ける。認知症の典型例だ。腎不全が脳障害を起こしている。パズルのピースが静かに、だが確実に崩れて行く。

しかしモネは歩く。倒れるまで、歩く。動物の本能なのか、ガリガリに痩せても、その優雅さはさらに極まって、ヨガの行者のように美しく歩く。モネはあまり飼い主を見ない。ベッタリ依存はしない、自分のペースを大切にする子だった。
たまに、「あら、パパだ」と気づくくらい。撫でていても、(撫でさせてやっている)感じが出ている。これは他のワンコたちの話とずいぶん違う。
この後ろ姿の威厳はなんだろうか。モネの命はモネのもの。飼い主であろうが立ち入れない神聖なものがある。
10年前の母の臨終、瞳がどんどん透明になり、命が消えて行く瞬間にも、母は自分自身の命と向き合い、その最後のひと雫まで全うしてると感じた。
3年前の父の臨終に至っては、最後には立ち会えなかったが、圧倒的な威厳を感じた。厳しさと満足感と。息子ですら、彼の人生にとっては役者の1人なのかもしれない。それでも僕は、両親に出会えてよかった。だから、毎晩夢にまで出てくるのだ。命は永遠。僕の身体の一部となって。

モネは、歩く。
その姿を心に焼き付けて。いつか絵を描くよと約束する。その前に少しだけ仮眠させてくれ。今夜もまた長いだろう。それでもあと数日か。

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