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不思議な兆し。

不思議なことがよく起こります。

今日は等々力での絵画教室の日。
いつも会場に向かう時に、寄り道して立ち寄る神社があり、たまに御神籤を引いたりします。それがまたドンピシャでびっくりするのですが・・笑。

今日は、教室前に会場で生徒さんに会うので、まっすぐいつもの道を行こうと思っていましたが、なぜかフラフラと違う小道に入ってしまい、気づけば立派なお寺へ。
前々から横目でみてて、いつか入りたいなと思ってたお寺でした。でも広すぎて時間かかるかなぁとか。
通りのお地蔵様には挨拶してましたが、こうやって敷居を跨ぐのは初めて。

雨上がりの晴天

お彼岸も近いこともあり、お墓参りのご家族で賑わっていました。
風に靡いて旗も美しい。
横道に入ると、帽子を被ったお地蔵様。

可愛らしい。
威厳のある地蔵菩薩

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地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。Wikipediaより。
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この時、前々から考えていた家族の肖像画のイメージを、今日描いてみよう!と思いました。そこで、会場に着いてから、生徒さんとワンちゃんをモデルに、当初の横顔のイメージから、ぎゅっとハグするイメージに。
今そこにある愛。
そしてそれは、『天国に旅立って、見えないけれどもまさにそこに存在するような絵』。
写真では到底表せない深い慈愛。地蔵菩薩から、慈悲の心で包みこむというエネルギーをいただいた上での、今日描こう!という決断だったかもしれません。

ハグする二人。
秋に描いた聖母子像

すべてはここが原点だったのかましれません。第二子が産まれ前に描いた、この子のための絵。聖母子像。そんなエネルギーを持った絵を描きたかったのだと。
・・・
数日前の深夜、仕事もひと段落して布団に入った時に、「トンッ!」と左鎖骨あたりを、何かに叩かれました。
最初、上からものが落ちてきたのかなと思いましたが、そんな跡もありません。筋肉が引き攣ったにしても、あまりにリアルに「叩かれた」という感覚。おいっ!っていう。しかし、痛くはない。後押し、ならぬ前押し?。まるで合図のような。

一瞬で(見守られてる・・)と感じました。そして静かに感動しました。どんなに嘆いても苦しんでも、自信をなくしても、何があっても見ている、、こんな安心感はあるでしょうか。
気のせいといえば気のせいかもしれませんが、何にせよ、兆しなのかもしれません。

そして今朝。お寺から、新しい慈愛の絵。そしてスタッフさんから聞いた長寿の愛犬の、壮大な臨終の物語。神々しいまでに、命を隅々まで使い尽くして、静かに、綺麗に息を引き取る姿。話を聞きながら、まさにその場にいるような感覚に襲われました。
きっと昨日の過去に戻ってその場に立ち会っていたのでしょう。
いえ、今現在も「その過去」が存在してるから立ち会えたのかもしれません。ご家族の気持ちが、胸の深い部分に入り込んでくる。
命の尊さ、威厳。最後を決めるのは本人自身。それはなんと自由なことか。

母のことを思い出しました。そして立ち会えなかった父のことを思い、辛くなり、後悔が押し寄せてきました。しかし父は「いい、いい。俺より自分の仕事をしろ!」と語りかけていました。何度も何度も。
自分の気持ちでいっぱいになった時は、相手の声を聞く。それは想像じゃなくて、本当の声。聞こえるはずなんです。全力でそこに意識を向ければ。。

「不思議な兆し」は、静かに、けれど確実に訪れるのでしょう。すべての存在に平等に訪れる・・。まるで太陽の光が降り注ぐように。雨が大地を濡らすように。
きっとあの世も平等なんでしょう。調和されてニュートラルな場所。誰しも訪れる兆しをそれをキャッチできるのは、今の心がけ次第。澄んだ気持ちで、感謝と喜びを感じながら。。
そして、日々の何気ないことに委ねること。ふらっと寄り道した先に、「それ」は見え隠れしているかもしれません。

おしまい。

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