見出し画像

自分への声かけ

自分の心にかける言葉がそのまま存在を作る。
これは誰の言葉かと言えば、我が家のボスの言葉だ(笑)。いいことを言う。存在、つまりbeing。

本当にそうだなと思う。例えばセラピストはいろんなクライアントさんの話を聞き、答える。その対話が、穏やかで浄化されるものなのか、逆に追い詰めてしまうものなのかは、その人の存在感。つまり自身への声かけによるものなのだろう。
親と子だってそうだ。子供に声をかける言葉はそのまま、自分に対しての言葉。自分の心を責め、こうでなければいけない!と語りかければ、すなわちのそのまま子供への言葉になる。例え言葉は優しく、傷つけないように気をつけていたとしても、そのエネルギーは自然と受け取られてしまう。

僕の場合は、自分の心に対して、常に厳しかった。ダメ出しばかりしていた。もっと頑張るべきだと思っていたし、それは自分自身の育児への向き合い方も仕事に対しても、そう思ってきた。そうして、プレッシャーや脳疲労で疲れ果てた自分をまた責めていた。結果、3ヶ月にもわたる胃腸障害で食べれなくなるのも、仕方がないことだったかもしれない。逆に、40年近くのツケが、よくもまぁ3ヶ月で済んだものだ。

身体を壊して初めて、自分を褒めるようにした。「よく頑張ったね」「よく食べれたね」「疲れたけど大したもんだね」「お疲れ様」「ありがとうね」と。家族や友人や、生徒さんに言いづづけたことを、初めて自分自身に向かって語りかけた。

本気で、誠心誠意。照れることなく。手段でも目的でもなく、間違いない事実として。

神棚や仏壇の前で、神仏や、父や母、先祖に誓って、真剣に祈った。「皆様、今日もありがとうございました。そして、同じく私の心と身体もありがとうございました。その命を形作ってくれた、食べ物たちに感謝いたします」。

ご先祖の前で繕うわけにはいかない。神様や仏様は遠いかもしれないけど、父や母や祖父母や、曾祖父母の姿は目にはっきりと浮かぶ。そして、彼らもこちらを見ている。優しい眼差しで。そして別に誰も、僕を責めることはしない。 

そうしていくと、出会う人たちに対して、より深く、敬意と愛情を感じることを実感している。静かに、ゆっくりと、相手を見て絵を描いていたり、指導したりしている。

落ち込むことがあっても「どうしたんだい?」と心に語りかけてみよう。笑顔で微笑みながら「まぁ、なんとかなるよ!」って。そうしたら世界はもっと優しく広がっていくのかもしれない。


よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。