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【エッセイ#9】自己評価と代表作のズレ ーアントワーヌ=ヴィールツの場合


創作活動において、構想期間、作成時間も十分、自分で物凄く気合を入れて完成させ、今までに存在しない超大作だと意気込んで作ったものが、微妙な評価を受け、ちょっとした思い付きで、大して考えることなく、さらっと作った小品が、なぜかバズったり高い評価を受けた。こんな経験をお持ちの方も、いらっしゃるのではないのでしょうか。

いえ、創作に限らず、仕事全般においても、自分が大して高いウェイトを置かなかったことが、なぜか他人から高評価された、という経験がある方もいらっしゃるでしょう。自己評価、というのは難しいものです。
 
芸術作品において、その高い評価の作品が本人の意図とあまりにもズレて、代表作にまでなってしまう場合すらあります。以前、フェルメールについても書きましたが、こうなると改めて、傑作とは何なのか、人に受け入れられるということは何なのか、と考えてしまいます。



先日X(旧Twitter)を見ていたところ、アントワーヌ=ヴィールツの絵画について書いていた方を見ました。ヴィールツは、19世紀ベルギーの画家で、彼が描いた大作群があまりに大きすぎて、既存の美術館に収まらず、結局彼のアトリエがそのまま美術館になったとのこと。写真を見ると、それはそうだろうな、という作品ばかりなのですが、私は、この記事で初めて彼の大作を観て、驚きました。というのも、私が知っていた彼の作品は1作だけで、これらの大作とは似ても似つかないものだったのです。

旧アトリエ、現ヴィールツ美術館。
天井に到達する神話画


アントワーヌ=ヴィールツは1806年、ベルギー生まれ。14歳の時に、国の王立芸術学院に入学して、奨学金を得て創作。22歳の時にフランス政府主催の「ローマ賞」で2位入選。ローマやパリに留学して、神話を題材とした大作を次々と手掛け、ベルギーを代表する画家、と高い評価を受けました。ちなみに、上記の彼の巨大なアトリエ自体、ベルギー政府が国費で建造したものです。小国において、フランスのような「先進国」から、評価されるということは、国の威信に関わってくる重要なことです。
 
しかし、今日、ベルギー以外で、彼の名前を憶えている人は、美術愛好家でも殆どいないでしょう。おそらく一作を除いて。それは、『麗しのロジーヌ』という小品です。
 
黒の背景に、裸の豊満な女性が立って、上目遣いに何かを見つめています。横には彼女を見下ろすように、骸骨の全身像が立っている。これは「死と乙女」つまり、骸骨と若い女性を並べて、若さの儚さ、人生の虚しさを寓意として描く作品です。「死と乙女」に限らず「メメント・モリ(死ぬのを忘れるな)」「ヴァニタス」のように、この手の寓意は、中世ヨーロッパからある主題です。その19世紀アップデート版といって良いでしょう。
 

『麗しのロジーヌ』
ヴィールツ美術館蔵


この作品がなぜ忘れられていないのか、と言えば、描かれた女性の美しさによるもの、と言いきってよいでしょう。ここには、早熟の天才で、ローマやルーブル美術館で古典的な絵画の技法を大量に吸収したヴィールツの美点が、よく表れています。若々しい堂々とした肉感を持ち、横顔の表情も、凛々しさとほんの少しの挑発も混じった曖昧なもので、非常に魅力的です。

そこに、「死と乙女」という、複雑でもなく、キリスト教圏以外にも理解しやすい寓意が、女性の美しさを邪魔しない程度についているわけで、簡素にして印象的な作品に仕上がっています。
 
そして、そう考えると、やはり、ヴィールツが神話を描いた大作は厳しいと言わざるを得ません。ルーベンスになりたかったのだろうなということはよく理解できる、大画面に大量の人物と光線が乱れ飛ぶ神話画は、当時においてすら時代遅れだったでしょう。

印象派はまだ出ていなかったけれども、ドラクロワやアングルが革新的な作品を創っていた時期に、17世紀のルーベンス風です。よく考えると、アントウェルペン生まれのルーベンスは同郷の偉大な大先輩なわけで、その模倣に走ってしまうこと自体、悲哀のようなものも感じます。
 
ちなみに、ヴィールツは、若い頃から天才と持て囃されていたからなのか、前述の政府に巨大なアトリエを立てさせた件も含めて、やや人を食った、誇大妄想気味の人だったようです。『麗しのロジーヌ』を見ると、右側の美しい女性の名前がロジーヌだと誰もが思ってしまいます。しかし、よく見ると、骸骨の頭に「ロジーヌ」と書いた札がある。つまり、骸骨の方が「ロジーヌ」なのです。
 
洒落っ気があるといえば洒落っ気がある、小賢しいといえば小賢しい。こういった部分が、彼が真の巨匠に成り損なってしまった遠因であるようにも思えてしまいます。そう思うと、彼の意図とは別に、彼の技術力が素直に表れた作品が、代表作として後世に残ったことの方が、ある意味奇跡なのかもしれません。



そんなことを書いていて思い出したのは、映画監督のヴィム=ヴェンダースです。多くの人が現在『ベルリン・天使の詩』を彼の代表作に挙げると思います。

恋をすると人間になってしまう天使が、壁崩壊後のベルリンの街を彷徨い、人々の心情に触れていく映画。歴史の痕跡が残る当時のベルリンをロケ撮影で捉え、歴史や恋愛への考察も含み、後にノーベル文学賞を受賞するペーター=ハントケの詩的な台詞も美しい、エッセイ映画とも言える素晴らしい作品です。

『ベルリン・天使の詩』
Blu-rayパッケージ


しかし、この作品は、とある大作の前に撮られた、ほんの小品のはずでした。その大作が資金難で撮影開始が遅れ、ベルリンの街で歴史を考察することへのインスピレーションが湧いたヴェンダースが、急いで撮った作品でした。スタッフも急遽集められ、以前傑作『パリ・テキサス』で助監督を務めたクレール=ドゥニは、自身の初監督作の撮影目途がついていたため断ろうとしたが、「大丈夫、すぐ終わるから」と言われて参加したと述べています。
 
その大作は『夢の崖てまでも』という映画です。世界が終わると言われている近未来で、何者かに追われる男と追いかける女、彼女を助ける探偵の奇妙な愛憎関係を軸に、ヨーロッパ、日本、オーストラリアまで世界を股にかけた追跡劇が繰り広げられます。世界の終わりと、盲目の母に映像を見せるための、人間の脳の記憶を映像化する新開発技術への陰謀が絡み合う、という、SFロードムービー超大作です。東京でも撮影され、小津安二郎の映画で有名な笠智衆も出演しています。
 
ヴェンダースが14年もの間、構想していた大作ですが、そのあまりに複雑なストーリーと、ロケ撮影の多さにより、撮影期間は半年以上。何度も編集を繰り返し、三時間弱の映画になったものの大不評で、ヴェンダースのその後の低迷の一因になったと言われています。現在は監督が最終カットした4時間47分版がソフトや配信で観られるようになっています。しかし、これを観ても、『ベルリン・天使の詩』や『パリ・テキサス』より優れていると言う人は、あまりいないと思います。



ヴィールツの神話大作と、『夢の崖てまでも』。共通しているのは、巨大で複雑すぎる構築物であることです。それゆえどこか鈍重で、体験する人に退屈さを覚えさせてしまう。つまり、良質な芸術やエンターテイメントから味わえるような、新鮮な驚きと喜びを得るのが、難しくなっています。
 
また、作者の思い入れが強過ぎて、観念的で、人を拒絶するような部分があります。これは、作品の規模が大きければ大きくなるほど、後戻りがきかなくなって、どんどん細部を作りこんでしまうこともあるでしょう。結果、当初最も伝えたかった意図が薄れ、観念的な部分だけがつぎはぎになってしまったとも言えます。
 
更に言えば、ベースとなっている発想が、昔の神話画や、終末を描くSFっぽい設定という、やや陳腐なところも、悪い方向に作用しています。創り手にとってみれば、陳腐であるがゆえに、細部にこだわって大風呂敷を広げやすい。しかし、根が陳腐なものをたっぷり見せつけられても、受け手は嫌な気分になるだけです。こうした作品ほど、規模は小さめに、さらっと見せるべきなのでしょう。
 
こうした点は、ものを創るときや、仕事の進め方において、ある種の反面教師として、参考になるのではないでしょうか。
 
しかし、個人的には、彼らの気持ちもよく分かります。ミケランジェロの『最後の審判』のように、ベートーヴェンの『第九』やワーグナーのオペラのように、あるいはダンテの『神曲』やトルストイの『戦争と平和』のように、この世の全てを詰め込んだような超大作を作り上げて、自分の創造した宇宙をあらゆる人に体験させたい、という欲望は、ものを創る人なら、一度は持つものではないでしょうか。私もそういった作品は大好きです。
 
おそらく、大事なことは、そうした超大作の傑作というものは(たとえ製作の過程がつぎはぎであったとしても)、多くの人に受け入れられる、優れた大きな思想と視点を持って作られた、というのを忘れないこと。そして、どんな機会や規模でも、いつでもベストを尽くして、真摯に取り組むということなのでしょう。そうすれば、自己評価とは別に、評価して受け入れてくれる人がいるかもしれない。これもまた、創作や仕事において、常に言えることなのかもしれませんね。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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