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不可解さの魅惑 -ホルバインの絵画『大使たち』【エッセイ#47】

 
昔の絵を見ていると、時々、一体なぜこんな表現をしたのか分からない場面に遭遇したりします。現代美術のような、何でもありの世界ではない、ある意味現実的な絵画のはずなのに、常軌を逸した何かが溢れる作品。

ホルバインの『大使たち』は、そう言った作品の中でも高名で、かつ、謎めいている作品です。
 
1533年に描かれた『大使たち』は、そのタイトル通り、当時の二人の外交官を描いた作品です。それぞれの名前も当時の年齢も分かっています。しかし、初めて見る人が驚くのは、二人の間の足元にある、斜めになった、細長い何かでしょう。

ホルバイン『大使たち』
ロンドンナショナルギャラリー蔵


 これは、尖った方から見てみれば、骸骨だと分かります。アナモルフォーシスと呼ばれ、視点を変えれば、正しい像に見えるという技法です。この描き方も伝わっています。
 
そして、骸骨と言えば、『ヴァニタス』と呼ばれ、死の隠喩であり、人間の儚い生を象徴するものと、絵画では決まっています。そういった象徴を込めた作品は山ほどあり、この絵画でも全く同じ意味で使われているのは間違いありません。
 
しかし、『大使たち』の異様さは、なぜそこに、その姿で骸骨があるのか分からない、ということでしょう。この細長い骸骨以外は徹底したリアリズムと、綿密な象徴で彩られているだけに尚更です。


 
この大使たちは、フランスからイギリスの国王、ヘンリー8世に送られた外交官です。ヘンリー8世は妃と離婚して、別の女性と再婚するため、ローマ・カトリック(離婚が認められていません)から離脱すべく動いていました。その彼に対して、カトリックからの離脱を思いとどまるように伝える、フランスからの大使だと言われます(諸説あります)。
 
しかし、ヘンリー8世はその後カトリックから離脱し、自分がイギリス国教会のトップとなります。そのヘンリー8世本人が、宮廷画家だったホルバインに命じて描かせたのがこの絵画です。リュートはよく見ると弦が一本切れており、これがヘンリー8世の「返答」を暗示しているという説もあります。



そして、ここまで分かっているのに、このアナモルフォーシスがなぜそこにあるのかが、分からないのです。
 
死の隠喩であり、「死を思え」(メメントモリ)が強調されているとも言えます。が、なぜ王を説得しに来た大使に、そのようなメッセージを向けるのかが、よく分かりません。嘲笑しているとも思えませんが、かといって、真面目であるとも思えない。
 
ローマ・カトリックに対する拒絶の意思を表すなら、もっとわかりやすい象徴が沢山あるでしょう。そして、リュートや地球儀、本を緻密に描けるホルバインなら、そんな表現は苦もなくできるはずです。どこまでいっても、この骸骨だけが謎なのです。


 ただ言えるのは、この部分だけが異様に突出しているため、おそろしく効果的なアナモルフォーシスになったということです。
 
全ての意味が分かりやすく説明できる日常に、突如異物として侵入してくる、非日常の説明できない何か。それが、人にとっての死であることは間違いありません。

例えば、それを骸骨の姿をした2本足の悪魔で描くこともできますし、そのような絵は、沢山あります。しかし、それらはこの絵程の衝撃を与えないでしょう。死が人の形をしたある種のメルヘンとして、分かりやすい象徴になっているからです。

ベックリン『ペスト』(1898年)
バーゼル市立美術館蔵
分かりやすい死の象徴


『大使たち』では、なぜそこにあるのか分からないために、分かりやすいはずの象徴が、一気に訳の分からないものとして、意味不明な不気味さを纏ってしまっています。

まるで、平凡な日常に突如として裂け目が出来て、異界からの魔物がぬるりとはみ出てきたような、異様さ。それが、この作品の魅力なのでしょう。
 
そして、その像は、正面からでなく、わざわざ斜め下に視点を移動しないと、ちゃんとした像とならない、というのも、非常に暗示的です。

普段通りに立って見るのではなく、身をかがめて、まるで這いつくばって相手を見上げるようにして見なければ、「死」は見えてこない。一体どこまで画家本人が自覚的なのか分からないのに、こんな多重的な解釈を思いついてしまうのもまた、この絵の面白さです。



余談ですが、この絵を見ると、私は現代のイギリスの前衛アーティスト、パトリック=ヒューズの作品を思い出します。ヒューズの作品は、「リヴァースペクティブ」と本人が呼ぶ、遠近法を駆使しただまし絵のような作品です。

凹凸のあるオブジェに、遠近法を強調したリアルな絵を全面的に描くことで、鑑賞者が視点を動かすと、絵が収縮して、三次元的に変化するように見えるのです。

これは、二次元の画像では到底体験できない衝撃です。動画で見ると、少し雰囲気が分かりますが、それでも、実物を移動しながら見た時の、船酔いするような、あるいは知覚が歪むような感覚は味わえないと言えます。
 
ホルバインとヒューズの作品の共通点は、視点を変えた時に、通常見えている風景と別のものが生まれる、ということです。それは、現実とは全く異なった恐ろしい何かであり、説明が到底できないものでもあります。


こうした説明できないものを、異様な表現で刻み付ける作品が散在しているのが、美術史の面白さとも言えるでしょう。

名作と言っても、その作品を完璧に説明できるわけではない、寧ろ、説明がつかないからこそ面白く、いつまでも人を惹きつけてやまない存在となる。ホルバインの作品はそんなことを教えてくれるように思えます。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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